茶一郎

ファントム・スレッドの茶一郎のレビュー・感想・評価

ファントム・スレッド(2017年製作の映画)
4.8
 男が「いつからゲームをやっている!?」と女に狼狽しながら怒鳴るシーンが特に明確で、この『ファントム・スレッド』は恋愛における男女のパワーバランスについて、恋愛というゲームを女性の闘いとして描く、恋愛についての恋愛映画でした。

 本作で引退を決めたオスカー三度受賞の化け物俳優ダニエル・デイ=ルイスの演技はもちろん、撮影、美術、世界観のきめ細やか、全てが世界最高峰。そしてその極上の世界から浮かび上がる普遍的なテーマにやられます。特に『ブギーナイツ』以後、その演出の広大さの一方、非常にパーソナルな題材を扱ってきたP・T・アンダーソン監督ですが、本作『ファントム・スレッド』ほど小ぢんまりとした着地をする作品は無かったように思います。おそらく本作にK.Oされる観客は、映画的なゴージャスさと小さすぎる着地に心わし掴みにされる事でしょう。

 本作は1950年代のロンドンを舞台に、世界最高峰のドレスメーカーであり、日常を全てドレス製作に捧げているウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)に突如、見出されたミューズ、若造のアルマの視点から物語が語られていきます。
 どこかPTA監督を重ねてしまう異常なまでに完璧主義者な作り手ウッドコックに翻弄されながら、高貴な世界に見出されるアルマ。『マイフェア・レディ』的シンデレラストーリーと思いきや、ウッドコックを支配する「亡霊」(ファントム)の存在が判明するやいなや、物語全体はただならぬ雰囲気をまとっていきました。

 冒頭、ウッドコックの「死者に見守られ安心する」という旨のセリフは、PTA監督が影響を公言しているヒッチコック『レベッカ』における「死者が生きている者を監視していると思いますか?」というセリフの逆張り。この逆向きのセリフから徐々に判明していきますが、本作『ファントム・スレッド』は、その『レベッカ』、そして『ガス燈』、『断崖』、『ゴーン・ガール』といった「私の配偶者がどこかおかしいんだが」型スリラーの様相を見せながら全く別の方向にツイストする展開に、特異性と、何より現代に語るべき作品の重要性をもっています。

 PTA作品では監督デビュー作『ハード・エイト』から『パンチドランク・ラブ』以外、圧倒的な「マスター」の支配する世界に見出される若者、そしてそのマスターと若者との対峙・絆がモチーフとして描かれてきました。何よりも、この一貫したマスターと若者の関係が「恋愛」に置き換わる事で、この『ファントム・スレッド』は過去作にない普遍性を確保したのだと思います。

 女性に対し抑圧的な世界において、徐々に「にらめっこ」を延長していくアルマ。アルマの仕掛けるゲームが同年製作『ビガイルド』的臨界点を超えた瞬間起こる爽快感、そして笑ってしまうほどの恐怖を味わいました。
 これは今から『ファントム・スレッド』を観る方への遺言ですが、女性の方は何とかしてパートナーの方と観て下さい。男性の方は何とかしてパートナーの方と観る事を避けて下さい。
茶一郎

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