sanbon

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニングのsanbonのレビュー・感想・評価

3.8
根拠のない自信は怖いってはっきり分かんだね。

今作は、頭を強打した事により自身の容姿が絶世の美女になったと錯覚してしまう主人公を通して、あまり自分の価値を低く見積り過ぎないで活き活きと人生を送っていけば、それだけで事態は必ず好転するのだという事を、自己肯定感満載に発信するハッピームービーとなっている。

その為、観賞後の余韻としては非常に清々しく、主人公と同じコンプレックスを抱えネガティブな感情に囚われている人にとっては、心ばかりの救いは得られる作品になっていると思う。

そんな今作のトリックの"肝"は、なんと言っても"美女に見えているのは主人公ただ一人"であるという点だろう。

これにより、外見的コンプレックスを持つ主人公の"内面だけ"を向上させる仕掛けを成立させており、その上で多くの物事に対して、外見の良し悪しは実は関係ないのだというメッセージに、強い信憑性を持たせる事に成功していた。

また、この認識のズレが今作においての笑えるポイントにもなっており、自信満々な主人公とそれに困惑する第三者の反応のミスマッチ感が非常に面白い作品ともなっているのだ。

しかし、ここでちょっと待ってみてほしい。

それが面白いと感じるのは、実はとても皮肉めいている事に気付いているだろうか。

何故なら、主人公の態度が容姿に対して分不相応であると認識していない人には、この可笑しさは理解出来ない筈のものだからである。

作品の主題としては見た目なんて関係ないと言っておきながら、笑いの仕組み上は見た目にそぐわない言動や行動を繰り返す主人公を変だとイジってネタにしている為、これだと何をするにも結局は見た目次第という結論になってしまうのである。

要するに、今作はコメディであるが故のジレンマとして、根拠のない自信に対してはそれを卑下しているようにもとれる構成にもなってしまっているのだ。

また、どんな美女であれ失敗や悩みはあるし、フラれる事もあればコンプレックスだって人並みにあるんだから、誰しも完璧な人間な訳じゃないんだよともこの作品は言っているのだが、ぶっちゃけそんなのは言われるまでもなく当たり前の事だし、だからといってコンプレックスをその言葉一つで一緒くたにしてしまうのは流石に違うんじゃないかと思う。

例えば、フィットネスジムに通う美女が、彼氏にフラれて泣きながら悩んでいるシーンを取り沙汰して、こんな美人でも相手から一方的にフラれる事もあるんだねとふと同情してしまいがちだが、結局ここでの焦点となっているのはその"意外性"だ。

つまり、"まさか"こんな美人"でも"なのである。

付き合う事すらままならない人と、フラれた事が異常だと思われる人とを同列に比べられても、その両者の間には深い溝が隔たっているように、表面上は同じジャンルの悩みでも、その深刻さは残念ながら"その人による"のだ。

そして、そんな意外性を引き合いに出してしまうと、逆説的には"こんな"おばさん"でも"人によっては自信満々に生きれんだねと、今作が全ての人に対して訴求しようとしていた肯定感ですら、他人事のように限定的となってしまう。

また、終盤で主人公が美女ではなくなったと自覚するくだりに関しても少し残念だった。

ここに関しては、自ら気付くのではなく第三者からの指摘によって、異変を察知する展開の方が望ましかったと思う。

何故なら、自己評価の良し悪しとは本来、育ってきた環境や他者が下した評価などの、"外的要因"をフィードバックして形成されるものなのだから、己の価値基準のみで盲目的に舞い上がっていた幻想を打ち壊すのもまた、第三者からの方が展開としては深かったように感じる。

その上で、魔法が解けて再度自信喪失に陥った主人公の事を、それでも失望せずに肯定し続けてくれる存在に気付けるからこそ、今作が主題として掲げる自己肯定感が満たされるのではと思った。

今作には、そのような絶望からの脱却までの過程があまり深く描かれていないから、ラストシーンのプレゼンで「私は私だから、私であることを誇りに思う」イエー!!パチパチパチー!!の、ザ・アメリカンな展開には、感動的な場面の筈がちょっと笑けてしまうくらい浅く感じてしまった。

と、ここまで散々な評価のような感想を書き連ねてしまったが、これは観賞後しばらく経って馬鹿真面目に色々考えてしまった末の論評であるので、本来頭を空っぽにして気軽に楽しむ分にはスコア通り楽しく鑑賞出来る作品ではある為、やはりコメディはコメディらしい鑑賞方で楽しむのが吉である。
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