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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのohassyのレビュー・感想・評価

4.5
少し迷ったけれど、本作を観る前提として「シャロン・テート」という名前を検索するくらいのことはしておけと伝えるべきだろう。

それは本作が、織田信長が本能寺で死んだことや、広島や長崎に原爆が投下されたことと同じように、その出来事がは周知の事実という前提のもと作られているから。
もし知らずに観たとしたら全く違う映画体験をすることになるだろう。
それはそれで、悪い体験ではないかもしれない。
でもタランティーノ本人が、「1969年8月9日に何が起こったかと言うことはみんな知っているし、映画はそこに向かって進むわけだから、余計なストーリーはいらないと思ったんだ」と言っている以上、作品の意図を理解するには知っておく方が良いだろう。

本作はその検索結果に出てくる、とある出来事を含む3日間の物語だ。
タランティーノならではの唐突なインサートで半年ぶっ飛んだりするのでちょっと混乱するかもしれないけれど、基本は3日間。

本作は160分ほどの長さで、そのうちおそらく130分くらいはドラマというものがほとんどない、日常のオムニバス。
世界一の映画博士タランティーノが、自身の子供の頃の記憶として美化された古き良きハリウッドの、とても優雅で自由で、楽しげな様子を、これでもかとばかりにウンチクを詰め込み再現する。
その空気感と、ディカプリオとブラッドピットという、スターであり名優ふたりの、これまた楽しげな名演のおかげで、観ているこちらも終始優雅で楽しげな気持ちになれる。

一方で、ふたりの日常とパラレルで描かれるシャロンテートの日常は、さらにストーリーがない。
パーティーに参加し、街をぶらつき、友人とおしゃべりし、夫のために本を買い、自身の出演映画を観客と一緒に映画館で鑑賞する。
それだけ。
それだけなのだけれど、まるで天使のように純粋無垢なシャロンはどこまでも愛らしく、自分の演技を観て笑う観客を見て喜ぶ彼女の姿は、近年稀に見るレベルのチャーミングさだ。
映画館が登場する映画にハズレなしと言うけれど(言うのか?)、シャロンの幸せそうでチャーミングな様子と、劇場で流れる本物のシャロンテートのフィルムの不思議な魔法のような空間・時間は、本作の映画館シーンは新しく映画史に残る名映画館シーンになったと思う。

それらの何でもない日常は、否応なしにラストであろう運命に向かってしまう。
そのあまりに悲劇的な事実に。
楽しく平穏な日常を、キュートな彼女を見せられれば見せられるほど、僕らの胸は締め付けられてしまう。
もし明確なドラマが進行していたとしたら、ストーリーに気を取られてここまで強く感じることにはならなかっただろう。
時間が止まればいいのに、そう思わずにはいられない。
終始コメディー映画の体をなしてはいるけれど、結果を知っているラストに向かっていくサスペンス映画でもあるわけだ。

唯一ストーリー性があり、サスペンスフルなシーンといえば、ブラッドピットがヒッピーの根城に乗り込むシークエンス。
ここで、突然物語が転がり始めるような緊張感が生まれる。
平穏な会話の中に漂う極度な緊張感は、タランティーノの真骨頂と言える名人芸。
どの映画にも必ずと言っていいように存在する、観客の感情が宙ぶらりんにされて一体どこに着地されられるんだと不安で仕方がなくなる、ファンにとっては癖になる堪らないシーンだ。

怖かった、感動した、絶望した。
本作にとって何がネタバレかといえば、感想を述べることだろう。
「うわぁ」くらいが限界かな。
だからぜひ観てもらって、感想を語り合いたい。
豪華に再現された60年代のハリウッドの雰囲気や、ブラピの、ストーリー的に全く意味のないサービスヌードを堪能できるだけでも、まあもうけものってことです。

それにしてももしこの出来事が起こらなかったら、当時のカウンターカルチャーの流れは止まらなかったかもしれないし、そうなると今とは全く違う未来になっていたかもしれない。
どんな世の中になっていたのか、ちょっと見てみたい。
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