ブロックバスター

教誨師のブロックバスターのレビュー・感想・評価

教誨師(2018年製作の映画)
5.0
人間誰しも、後悔していること、罪を償いたいと思うことが大なり小なりあるものだ。でもそれが死刑囚なら、彼らは牧師に何を語るのだろう。

牧師の佐伯は、聖書を片手に死刑囚に向き合う教誨師。
死刑囚の喜怒哀楽にじっと耳を傾ける佐伯には、彼らがどんな罪を犯したのかは分からない。
賛美歌を熱心に覚えるヤクザの親分、自分の子どもを獄中から気遣う父親、路上生活を送っていたので字が書けない老人。
きっと死に値する大罪を犯した犯罪者に違いない彼らは、獄中にいるとはいえ私たちと変わらない、穏やかな生活を送っている。
だからこそ見ている私たちは「この人たちは本当に死刑囚なんだろうか」と戸惑ってしまうのだ。

しかし、若い男性である高宮だけは他の死刑囚たちと違う雰囲気を纏っている。
世のために価値のない人間を一掃した自分は高尚な存在だと豪語する高宮の姿は、2016年に起きた相模原障害者施設傷害事件の犯人を連想してしまう。
神の存在をも否定する高宮に対峙する教誨師の佐伯は、自分がなぜ牧師を目指すことになったのかを振り返ることになる…。

この映画で知ったのだが、教誨師の仕事はボランティア活動なのだそうだ。
教誨師の仕事が容易いものではないということは、佐伯の働きぶりからも窺い知ることができる。
時に死刑囚が取り乱したり、虚言を吐いて佐伯を困らせる様子を見ると「よくこんなことをボランティアで行うことができるなぁ」と感心してしまう。
しかも佐伯は、聖書片手に面会室に現れるものの決して牧師としてキリストの教えを一方的に説こうとはしない。
死刑囚の心の葛藤、悩みに対して「なぜそう思うのでしょう?」と問いかけながら耳を傾ける姿はとても謙虚で慎ましい。
そんな佐伯の熱心さに触発され「自分も洗礼を受けたい」と志願する老人の姿を見ると、つい心がジーンとしてしまう。

しかし、教誨師の佐伯がいくら精力的に活動をしても、死刑囚の罪を軽くすることはできないことはもちろん、犯罪を減らすことにも貢献することはできない。
そして当たり前の事実ではあるが、佐伯が教誨師として向き合う死刑囚たちも、いつか死刑を執行されてしまう身であることに変わりはないのだ。
ならば、そもそも罪を償うとは何なんだろう。本当に死刑は「死刑囚の罪を償う」という役割を果たしているのだろうか。
被害者は、そして加害者は「死刑」という極刑を通じて心の安寧を手に入れることができるのだろうか。観賞し終わった後に、色々なことを考えさせられてしまう映画だ。

というか、私は見終わった後に涙を止めることができなかった。
それはきっと、死刑囚が自分の命と対話しながら、自分の中の真実を探る姿に胸を動かされたからだと思う。
今作は主演を務めた大杉漣さんの遺作になってしまった。
亡くなられる前に、こんな大作の主演だけでなくエグゼクティブ・プロデューサーも務めた大杉漣さん、本当に凄い方だったんだなぁ。ご冥福を心よりお祈りします。