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騙し絵の牙の会社員のレビュー・感想・評価

騙し絵の牙(2021年製作の映画)
3.0
出版業界の構造的不況にあえぐ薫風社。社長の急逝を機に社内紛争が激化し、不採算部門の切り捨てを中心とする改革が始まった。大泉洋を当て書きにしたという編集長を始め、くせ者たちの騙し合いが始まる・・・。
といったところだろうか。予告編との乖離が良い意味で作用し、偏見なくフラットに鑑賞することが出来た。

社内には大きく二つの派閥が存在した。まずは社長の息子を筆頭とするグループ。背後には常務がついており、100年を超え文学界に貢献してきた文芸誌「小説薫風」の編集部をその母体とし、その伝統的価値を重視する。しかし実際は採算がとれないことも多く、社内でもその保守性から反感を買うことも少なくない。
もう一つは彼らを追い落とし次期社長として改革を断行することとなる、専務を中心とするグループ。従来の出版業界の在り方を問い直す革新的なプロジェクトを進め、また業績の芳しくない雑誌を廃刊に追い込んできた。もちろんその強引さへの反発は根強い。
物語は「小説薫風」の、月間から季刊への格下げから物語は大きく転換する。文芸界の大御所を中心に反対運動が巻き起こるなど、物議をかもすこととなる。
そんな中、カルチャー誌「トリニティ」の新たな編集長として転職してきた大泉洋演じる速水は、社内や世間の空気を敏感に感じ取り、矢継ぎ早に新たな試みに打って出る。
これ以上はネタバレになるので控えておこう。




ここからは映画で描かれたひとつの解について、思うところを述べていく。

速水編集長は、グルメなどありきたりだが確実に数字がとれるトピックばかりに帰着するトリニティ編集部に新しい風をもたらした。本当にやりたいこと、自分が心から面白いと思うことを取り上げるよう促し、事実部数回復に貢献してもいる。SNSを駆使し、本音のこもった特集を世に問う手法は極めて現代的である。
また、謎の多い男という物語の構成上、また歴史を重んずる保守派との対比という側面からもある種必然ではあるが、速水は外部からの転職組である。終盤に明かされる構想も含め、改革や変化の扉は外部からのインパクトをもってこじ開けられるという思想が背景にあろう。
そして後半、ある者には会社の看板や歴史の耐えきれないほどの重圧を語らせ、また本映画の核心に迫る場面でもあるが、ある者には従来の出版業界への果敢な挑戦を行わせる。
こうした点は出版業界に限るものではなく、日本社会に深く根差した価値観、広く共有されつつある視点を示しているといってよい。しかしそうした回答が角川から制作・提出されたとみるや、新たな問題が我々の前に立ちはだかってくるのではないだろうか。すなわち、歴史の担い手の不在である。

角川自身、1970年代に出版・映像・音楽のメディアミックス戦略にいち早く乗り出した企業である。近年では紆余曲折を経ながらも動画配信サービスで有名なドワンゴを完全子会社化している。まさに歴史的ネームバリューと破壊的イノベーションを併せ持つ稀有な出版社であり、実際の原作著者や監督が意図するところとは無関係に、薫風社の未来と重なる部分があろう。
しかし映画内では文芸誌は廃刊に追い込まれ、その伝統性を愛する常務は極めて感情的で浅薄な人間にまで矮小化され舞台から葬り去られてしまった。改革派の目指すプロジェクトすらも、時代の流れの速さに屈するような描かれ方をしている。
前述の通り、時代の変化は外部から急激にもたらされ、その変化の波に乗り荒波の中生き残るためには、痛みを伴わなければならないという、根深い新自由主義的思想が垣間見られる。

物語中盤、文学の果たす社会的役割について述べるシーンがある。高揚感を付与する演出と相まって、作品全体の解に向けても期待を抱かせる印象的なシーンであった。
しかし結局答えは描かれずじまいであった。文学を野球に例えたシーンでは、メジャーで自身の実力を試すことのできるという野望を評価し、草野球に対する評価をついぞ下さなかった。文脈からは、現状に甘んじる保守派の危機感の無さに呆れるようにも捉えるべきかもしれないが、私にとっては、この構造的不況に対する明確な回答をこの映画は提示することが出来ず、文学的回答を棚に上げたまま前述のような社会経済的な共通認識に帰着したに過ぎないように見受けられた。
そしてこの映画で最後に笑う者が表すように、真に出版の未来を思う者たちは、悪く言えば別のステージに放り出されるしかないのである。

的外れな評価になってしまったかもしれないが、製造業や金融業ではなく、出版業を舞台にこうした物語が大衆向けに描かれることそれ自体が、歴史の担い手の不在という危機的状況を示しているように思えてならない。草野球やキャッチボールをすることは果たして許されないことなのだろうか。
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