シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

若おかみは小学生!のシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

若おかみは小学生!(2018年製作の映画)
3.9
さて、巷で評判になってた「若おかみ」です。両親を事故で亡くした小学六年生おっこ(織子)が、祖母経営の温泉旅館に住み込むことになり、若おかみとして色々な客と交流することで両親の死を乗り越えて成長していく。
小学生にも分かりやすい構成で、主人公の心の悩みや葛藤を前面に出すより、イベントドリブン的に話が進みます。つまり同じように住み込みで祖母の旅館で働くことになった「花咲くいろは」の緒花のように、厳しすぎる祖母おかみに反発したり、そもそもなぜ古旅館でしんどい思いをしてまで子どもが働くのかに遅疑逡巡したりはしません。
といって、キャラクターの心情がお座なりにされてるわけではありません。むしろ、主人公の心の葛藤は前半、意図的に凍結されている。忙しさに忙殺される旅館業の世界しかり、おっこの心の中の「もうひとつの現実」しかり、により少女の哀しみと悩みは適切に封印されている。してみれば、このもうひとつの現実は、少女の心の防衛機構なのだとも気付ける。
おっこは自分の心中や夢の中で両親がまだ生きているという実感を持っている。それは視聴者には痛ましさを抱かせつつも容易に否定できる「ウソ」です。しかし、それでは、両親の死後、おっこが初めて作った友達であるウリ坊ら幽霊や妖怪は現実...少なくとも超現実で、死なずに生きている両親だけが、彼女の作り出したウソなのか?いや、そんな事はないだろう。幽霊と何故か生きている両親は本来、等価に扱われなければならない筈の存在です。つまり、おっこがきちんと両親の死を受け入れた時に、幽霊の友達たちもまた消えていくことになる。幽霊たちの存在は、おっこと死者の世界への橋渡しであると同時に、かつて生きていた人たちが何らかの形で今生きている人に影響を与え続けることの象徴でもある。生きていた人は、死んだからといって、消えてなくなったりはしないのです。
こうした着想、視点の鋭さは全般に発揮され、おっこのライバルの「ピンフリ」嬢がいみじくも指摘するように「旅館はお客に気を使わせてはいけない」「老女のおかみは勿論、小学生にだって客は気を使う」という命題が突きつけられるのです。
どうです?昨今の「おもてなし」を追及し続ける立場からは、このピンフリ嬢の指摘に簡単には反論出来ないでしょう。作品中でも明示的な、少なくとも言葉による見事な反論はありません。しかし、実際には「うちにはうちのやり方がある!」おっこは客に精一杯気を使い、客もおっこを気遣っているのです。そしてその事で互いに救われています。気を使わせないことが客あしらいの基本なのだとしても、おっこはそうではないやり方をしている。この作品は、神楽舞や昔ながらの温泉町を舞台にしつつ、日本の伝統、日本人の優しさなど、良いところを滲ませています。さながら、早坂暁の名作ドラマ「夢千代日記」のように。
それでいながら、過去の継承に留まることのみをヨシとしていない。大袈裟に言えば、もう一歩、人間関係をお互いに詰める、いわば日本2.0のあり方をも示してるような気がします。なぜなら、おっこはまだ小学生で、明日の日本は彼女たちが作っていくものなのですから。