このレビューはネタバレを含みます
村上春樹の「納屋を焼く」が原作となっているが、短編を肉付けして膨らませたというよりは、モチーフを借りて1つの可能性を作り出したという感じである。
*
私は原作を読まずに映画を観たが、序盤からわかりやすい伏線が出すぎで、先の展開が早い段階で見えてしまった。
先が見えているのに、各シーンが間延びしているため、テンポが悪い印象だった。
猫はアフリカ時はどこに?
井戸の記憶の有無は何のメタファー?
なぜベンはジョンスへの罪ばれを厭わないの?
ベンの友達たちは何者?
このあたりを考えると面白いのかもなあ…というのが観終わっての感想。
*
その後、原作を読んでみたら違う発見があった。
小説では「納屋を焼く」が何を指すのかがかなりぼやかされている。
そして、小説の主人公は乃木坂で色々な人のプレゼントを買うくらいに都会暮らしで孤独ではない。文化素養もありグラスにも慣れている。
ジョンスからは、村上春樹の作品にありがちな主人公の要素(アーバンセンスがあり、醒めていて執着しない)が見事に消されていた。
一方でヘミの天真爛漫、超越的で適度な闇を抱える感じは小説以上に村上春樹のヒロインっぽかった笑
小説では「僕」と「彼女」は浅いつながりで、だから消えても騒がれない存在だった。
しかし、映画ではジョンスとヘミには特別なつながりが存在し、ジョンスも孤独で不器用だった。ヘミは消えてもプツンとはならない存在だった。
それであのラストに繋がっていった。
彼(ベン)が「観察」を誤る現代バージョンの「納屋を焼く」を映画では描いてみたかったのかなあと思ったら、腑に落ちた。
そして、そういうバージョンを作るモチベーションに、韓国の現代事情がどう関わっているのかを考えるとまた一つ面白いのだろうなと思った。
同じく人の繋がりをテーマにした万引き家族とカンヌのパルムドールを争ったのは因縁めいている。
*
後にわかったことだが、ナイフや井戸のモチーフ、父の暴力性など、村上春樹の他の作品(「ねじまき鳥クロニコル」など)やフォークナーの小説を読んでいないとテーマが極めて見えにくいようだ。
これらを読んで理解している人には、また1段深いレベルで楽しめる映画である。