カツマ

幸福なラザロのカツマのレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
4.3
灰色の中にある一点の曇りもない透明。それはもはや色のない光、照らすことを求められない無為な照明。幸せとは何か。そんな言葉が彷徨いながら、涙のように暮れていく。善き人の目に映る現代社会の底を直視させながらも、聖書の一節のようにどこかお伽話めいている。これぞ、映画。現代に求められているメッセージを湛えた映画だった。

2018年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したイタリアの俊英アリーチェ・ロルヴァルケル監督による現代の神話である。実際にイタリアで起こったという詐欺事件を題材に、現代社会に蔓延る膿を表出させる風刺映画を作り出した。ラザロという聖人の名から取られた主人公が、善き行いの果てに見る現実の姿とは。タイトル『幸福なラザロ』の意味を問いかけるたび、幸せの定義とそれすら曖昧にしてしまう現代社会に絶望感が押し寄せる作品だった。

〜あらすじ〜

そこは20世紀のとあるイタリアの集落。ラザロは昔ながらの小作人制度を敷いた公爵家が統治する村に住んでいた。ラザロは純朴な心を持ち、何を頼まれてもNoと言わない優しい性格。それ故に村人たちからは重宝され、働き人として常に労働ばかりの毎日を過ごしてきた。
村人たちは公爵家のもとで働き、絶対服従の関係を維持してきた。彼らは公爵家の許可無しに村から出ることは叶わず、俗世界から隔絶された生活を送ってきた。
そんなある日、ラザロは公爵家の嫡男タンクレディに気に入られ、自らの隠れ家で彼と束の間の時間を過ごす。だが、後日タンクレディは突如として姿を消した。ふとラザロが隠れ家に行くと、姿を消したはずのタンクレディが自らの家のように寛いでいた。そこでラザロはタンクレディに言われるまま彼の計画に手を貸すことになってしまい・・。

〜見どころと感想〜

この映画はかなり特殊な構造を持っていて、序盤の展開からラストシーンを連想するのはほぼ不可能ではないかと思う。だが、確実に言えることは今作のメッセージはダイレクトに現代社会の貧困や人間の卑しい心に焦点を合わせており、完全なる善人であるラザロの目から見てもなおそれは醜いものとして映る。どこか哀愁が漂っていて、無機質なスクラップのような色彩は後半に行くにつれて増大していった。

ラザロ、とは新約聖書のヨハネ福音書に登場する聖人のことであり、イエス・キリストのとある能力を示した、ある奇跡のことを指す。この聖書のエピソードは今作の物語を暗示していて、後半部での謎めいた出来事の説明がつきやすくなると思う。

前半と後半の舞台を照らし合わせ、ラザロにとっての幸福を再定義させるかのような非常に痛烈かつ容赦のない描写が光る。ラストシーンの余韻もまたジワジワと広がるように浸食し、殺伐としたエンドロールの上を静かなる衝撃が慚愧のごとく駆け抜けていったのだった。

〜あとがき〜

今年のレビューは昨年のベストムービーに頻繁にあがっていた今作からスタートです。抉り出すようなメッセージ性と多義性を持っていて、迷宮のような考察を誘発するラストが強烈な衝撃となって残る作品でした。

昨今のイタリア映画は母国のリアルを描こうとする作品が多くて、その情け容赦ない切り込み具合はもはや気持ちがいいほど。
無垢な瞳に映る社会の生きづらさ、世の世知辛さは淡々と切なくて、またヒリヒリとするほどに鈍い痛みを染み込ませるようでした。
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