ろ

幸福なラザロのろのレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
5.0

犯罪の片棒を担がされても微笑みを絶やさない。
‘武器’の意味を知らずに人々を怖がらせてしまう。
誰かの悪意を感じることも、殺してやりたいと憎むこともその罪悪感に苦しむことも、ラザロは味わったことがなかった。

孤独な貴族タンクレディは狂言誘拐を企てる。
彼が寂しさに駆り立てられるのはこれが初めてではなかった。
タンクレディは咳き込みながら言う。
「咳が出たらまた煙草を吸うんだ。それから珈琲を飲む」
彼はラザロに協力を求めるが、本当に欲しかったのは共感だった。
しかし孤独も悲しみも知らないラザロは、タンクレディに心から寄り添うことができない。
咳き込む彼に、迷うことなく煙草を差し出すラザロはとても残酷だ。

カフカは悲しみのどん底にいる時ほど筆が進んだという。
しかし喜びを感じているとき、彼は全く机に向かわなかった。
人間の歴史は苦しみや絶望によって築かれてきた。
もしも私たちがラザロのように目の前のことをそのまま受け止め、あらゆることに鈍感だったなら、文明も文化も生み出すことなんて出来なかっただろう。

嘘をついて誰かを騙したり、怖い思いをさせたなと怒って蹴飛ばすのが人間だとしても、喜びしか知らない神よりよっぽど魅力的に思える。
だけど、善悪や物の価値基準といった概念と同じぐらい、人間には神が必要だった。
どうして人間は神を創ったのだろう?

「寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」
寒さも温かさも、葛藤も喜びも味わうことができる。
私たちは生まれたときから幸せだったのだなぁ。



( ..)φ

タンクレディってどこかで聞いた名前だと思ったら、ヴィスコンティの「山猫」だ。
貴族の時代から庶民の時代へ、移り変わる世の中を切り取った「山猫」。
伯爵夫人に搾取されていた小作人たち、そして時を経て銀行に搾取されるタンクレディが、ヴィスコンティの描いた退廃の世界と重なる。

そして、ベルイマンはなぜ神の不在を描いたのか、私はなぜ彼の作品が好きなのか、この映画を観ているとその理由がわかる気がした。
ろ