焦げすーも

ブラック・クランズマンの焦げすーものレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
4.5
KKKに黒人警官が潜入するというトンデモ実話が元ネタ。ワイの好きなアダムドライバーが主要人物。面白くないわけがない。
アカデミー脚本賞をとっただけあって、痛快な部分と考えさせられる部分のバランスが見事だった。

痛快ポイント
・主人公の立ち位置がおもしろい。KKKに潜入する黒人警官、というだけにとどまらず物語後半のKKKへの食い込み度合いは不謹慎すぎる。
・主人公が警察内で差別偏見を受けながらも、実績で周りを理解者にしていく過程。ズートピアに通じるものを感じた。
・KKKメンバーのマヌケさ。電話だけで申込でき、しかも新入りメンバーに支部長打診する組織のボロさ。特にあのトンデモ夫婦の行動なんやねん。

・考えさせられるポイント
アダムドライバーが扮する警官のアイデンティティ
予告段階では特に触れられていなかったが、実は物語の展開上かなり重要だったということに気づく。黒人の主人公とは違ってアイデンティティーを自覚させられることなく育ってきた彼。KKKに潜入し、過激な踏み絵のようなことをさせられることで否が応でもアイデンティティーを踏みにじられる。中盤で”仕事だから(意訳)”と受け取っていた潜入行動は彼にとってどのようなものだったのだろか。

・学生団体会長の警察に対する憎悪
主人公と心を通わせながらも、それでも”一人でもクソな警官がいれば警官も全部悪”と断じる気持ちは理解し切れない部分だ。物語終盤で悪徳警官をとっちめた後に、主人公に対して”警察署に辞表出したよね”という台詞で考えは変わっていないことが分かる。
ホワイトパワーに対抗するブラックパワーを連呼するシーンで全面的に黒人側に肩入れできなかったのはこのせい。寛容さの欠如・二項対立で物事を捉えてしまうのは、50年前も現代も変わらないものなのか。現在も警官による黒人殺害が後を絶たないアメリカの現状だと、学生団体会長の意識も仕方ないことなのか。

・國民の創生
100年前に撮られたKKK賞賛事実歪曲映画。町山さんの本を読んでKKK復活に寄与したことは知っていたが、劇中で流れたこの映画に熱狂した集団にはおぞましさしか感じなかった。この50年後、トランプの演説に熱狂する聴衆と何が違うのだろうか。”KKK理事が大統領になるわけない”と軽く流した主人公の台詞に考えさせられた。
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