この映画を選んで、最後まで観た人は優しい人だ。もしくは、「優しさ」について深く考えたことのある人だと思う。
フィルマークスを始めた頃、「お金で解決できることは限られている」というようなレビューをいくつか書いた。
日本で暮らしていると、今でもそう感じることは多い。けど、
「お金がなければ始まらない」のも、厳然たる事実だ。
うちは、親父がしょっちゅう子供を殴る人間だったので、理由の分からないまま殴られた日には、いつも「どうすれば家を出られるか」を考えながら寝た。
結局、ネックになるのはお金と信用で、「住む場所と生活費が確保できないから、子供でいる限り諦めるしかない」という煮え湯をけっこう長く飲み続けた。
いま思えば、それは「我慢できる程度の苦労」だったということだが、そういう人間がゼインの表情や行動を見ると、いろんな気持ちを思い出す。
「家族を想うとき」のレビューで、どうしてわざわざ辛い気持ちになる映画を観るんだろう、ということを書いたけど、
結局、永久に支払われない幼少期のツケを、自分なりに回収したいのかもしれない。
ゼインは方向性を持って生きようとし、ただ流されるのではなく、前がどっちなのかを見定めて前進しようとしていた。
鏡の前で話を組み立てる姿は、必要に迫られて前進する覚悟を決めた、大人のそれだった。
そして、そんなゼインを受け止めてくれたラヒルは、あんなにカツカツでも母に送金していた。
そういう姿を見て、「真っ直ぐに生きていくことは、バカバカしいことではない。理不尽なものにいちいち報復するヒマなど、人生にはない」ということを感じたいのかもしれない。
でもゼインには、
道から外れる前に、
報われてほしかったなぁ…
ということで、またまた長くてすみません。しばらく、こういうタイプの映画は観ないと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。