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天使のたまごのsanbonのレビュー・感想・評価

天使のたまご(1985年製作の映画)
2.5
これを面白いとか言っちゃう人とは、友達にはなれそうもありません。

今作は「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」で有名な「押井守」と「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインを数多く手掛ける「天野喜孝」がタッグを組んだ1時間あまりのOVA作品となっている。

特に押井守に関しては、僕のオールタイムベストとして殿堂入りを果たしている「機動警察パトレイバー 2 the Movie」の監督という事もあり、その功績だけでも十分尊敬に値するクリエイターの一人となっているのだが、そんな色眼鏡を掛けている状態であっても、今作を好意的に観るには相当な無理があった。

だって、本当に意味が分からないんだもん。

映画を観て、真っ先に考察サイトを頼ったのは恐らくこれが初めての経験だ。

大抵の場合は、どれだけ難解な作品であっても、自分の備えている知識だけでまずは言語化出来ないものかと、下書きのつもりでとりあえず文字を綴っていき、ある程度書きたい事や自分の考えがまとまった所で、知識や内容に齟齬などがないかを検閲する目的でネットサーフィンを始めたりするのだが、そんな過程をすっ飛ばさざるを得ないほど、今作の内容は一切の理解が出来なかったのだから仕方がない。

ここまで分からないものを見させられると、この作品を作るのによく人とお金が集まったもんだと、逆に感心してしまう程だ。

まあ、実際はこの作品を手掛けた後数年間、押井守は監督業から事実上干される事となったようなので、それに関しては「まあ、だろうね」という感想しか出て来なかったが。

そして、どうやら調べたところによると、今作は「旧約聖書」と「新約聖書」をごちゃごちゃに混ぜ合わせて、神話を監督の手により"でっち上げた"内容となっているようなのだ。

確かに、説明されてみれば作中に登場する青年は「ノア」であり「キリスト」でもあると分かる特徴を備えているのは理解出来るし、少女も同様「マグダラのマリア」をモチーフにしているのだと納得は出来る。

それを証明するように、この作品にはありとあらゆる所に聖書の内容を模していると思しき描写が比喩表現として散りばめられており、解説を読み解きながらあのアイテムはあれであのシーンはそういう事だったのねと、記憶を反芻出来る楽しさはあるのかもしれない。

だが、それを知ったところで「だからなに?」が解消出来る訳ではないのが、今作を評価するうえでの重要な"キモ"となっているのは間違いないだろう。

何故なら、この作品はそれらメタ的要素が、物語としての意味を何一つ成していない状態でそこかしこに"存在しているだけ"で、それに対する"結論"が用意されている訳ではないからだ。

というより、今作はそもそもが"物語にすらなっていない"のだから当然である。

女の子がいて、なにかの卵を抱えていて、それを孵らそうとしている。

青年がいて、何かを担ぎ、女の子が抱える卵を何故か気にかけている。

その二人が、どことも知れない場所で、なにが目的かも分からないまま、ただ何かしらの行動を続けている。

女の子は誰で、青年は何者で、この世界は何で、卵の正体は一体なんだったのか、そして二人はそれぞれなにをしようとしていたのか、そんな「5W1H」が何一つとして明確に示されるような事はなく、何一つ交わる事もなく、ただただ不毛なまま終わりを迎える。

解説によれば卵は処女性の比喩で、青年が担いでる物が男性器を表してしていて、卵にそれを突き立てる事は少女が大人になる事を暗示しているらしく、ふむふむ言われてみれば確かに…で、だから一体なんなんや?ってな感じ。

終いには、作り手である押井守のインタビューまで読む羽目にまでなったが、それを踏まえたうえで出た答えは、まさかの「意味は無い」という事実だった。

確かに、今作は映像表現という側面だけで見れば、制作された年を考えても、あそこまで手描きでの細密な描写をしているのは凄いと思うし、目を惹かれる場面も多々あるのは認める。

かく言う僕も、曇天が立ち込める薄暗闇の中、だだっ広い原っぱで地平線を眺めながら、ただ風に吹かれているような状況がどこか感傷的で好きな為(厨二病ですがなにか)、それと似たような空気感を表現した描写には胸にくるものがあったし、映像としての価値を感じられる部分はいくらかはあったようには思う。

その上で、表面上には魅力的な世界観とそれを表した絵が確かにあって、その絵が何万枚にも及ぶ原画と動画の連続によってちゃんと動いているのだから、これはまごう事なき"アニメーション"なのだろう。

ただし、今回僕が観ようとしていたのは作画技術を見るための"アニメーション動画"ではなく、そこに更にストーリー性を備えた"アニメーション映画"なのである。

この状況をポテトチップスに見立てると、パッケージはとんでもなく美味しそうなデザインで、ぎっしりと中身が詰まっているようにパンパンに膨れて見えたのに、いざ袋を開けてみると、食べ物っぽい匂いを纏った空気だけが、勢いよく発散されて終わりみたいな状態と同じなのである。

袋は確かにポテチだし、その匂いもちゃんと感じたが、肝心の中身が無ければ普通はそれをポテチとは呼べない。

今作は、OVAと言えども歴とした映画であり、アニメーションであろうとも単なる動画ではなく、あくまで一本の作品である事に変わりはなく、僕個人としてはそれらに求めるものは徹頭徹尾"内容の面白さ"であって、少なくとも"概念としての面白さ"では決してないのだ。

なにを以て映画を名乗れて、なにを満たせば作品と呼べるのかの定義は曖昧ではあるし、絵を描いてそれを繋ぎ合わせただけの物をそう呼ぶのも一向に構わない。

だけど、それを面白いと豪語したり、訳知り顔でこれはアートなんだとうそぶくような人とは、絶対に気は合わない事は確かだろう。

だって、ポテチの匂いだけがする空気を吸って「これめっちゃ美味しいよ!俺は好きだな!」って言って、概念を食べて喜んでるような胡散臭い奴となんか友達にはなれそうにないでしょ?
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