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左様ならの海のレビュー・感想・評価

左様なら(2018年製作の映画)
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生きることは、地獄だと、その感覚は大人になるにつれ薄れていくものだと思っていた。だけどどうやらわたしは、救われないことよりも救えないことの方を苦しく感じる人間のようだった。あの子が死のうとした意味もあの人が泣いていた意味もどうしてと聞けなくなってから本当の深さを見せ始める。会えなくなったひとの存在はいま会えるひとよりも時に大きい。「高校生の頃、こんな感じだったな」ではもう間に合わないくらい、今この社会は、インターネットは、あの窮屈で息苦し過ぎた教室そのものだと感じることもある。毎日、毎日誰のことも救わない無責任な言葉が目から耳から飛び込んでくる。戦争って、こんな感じだったのかなって平和の中で傲慢に思ってる。言葉は今や銃弾より多く人を殺しているかもしれないし、今もどこかで誰かを傷つけてる誰かの言葉は、まるで爆弾抱えて敵地に突っ込んでいく子どもみたいだ、そこで貴方の生んだ言葉が泣いているじゃないか。昨日まで誰にも見向きされず街を彷徨ってた少年が自殺とか殺人とかそんなイレギュラーなことをすれば皆が一斉にそっちを向き、指差し非難し「自殺」「殺人」「少年」と順々に急上昇ワードに上ってくる。高3のとき、クラスメイトの女の子に、いじめに遭っていたという告白を受けた。そのとき何にも言葉が出てこなかった。明日には忘れて生きていくくせに、今をやり過ごすためだけの大袈裟で綺麗な言葉を生むなよと自分に言い聞かせた。でもあのとき彼女を救える言葉はわたしの中にあり得たはずだった。言うべきことが、言わぬべきことに、首を絞められている、“言葉”そのものから長い時間をかけてゆっくりと慎重に削ぎ取られてきた責任の重さが、全部その親指の先にかかっている。表現の自由も言論の自由も、自由っていう鈍器で誰かを撲殺する人によって全然違うものに歪められていく。性別とか人種とか民族とか宗教、特権を持たない側に回ってしまったらお終いだから必死になって目を見開いてインターネットの青い文字に自分を縛り付ける、誰が悪いか、誰が可哀想か、それを全く無関係の人たちが全く無関係のままで居られる匿名SNSや匿名掲示板でいかにも自分にも関係ありますという顔をして意見を投稿し合い誰かを責め立て答えを決め付けようとすることに途方もない恐怖を覚えるし、脚のすくむような絶望が迫るのに、それが一切無くなった世界を夢見ることすらもう許されないような気がして開く前の唇を縫い合わす。教室さえもが、健全に見える。貴方は、自分の言葉で何人の人間を殺してしまおうが、自分は悪くないと、それくらいのことで死ぬ方がおかしいだろと、自分に言い聞かせ肯定だけをそばに置き平気な顔して生きていって、明日も明後日も来年も誰かを叩いて踏み付けてようやく自尊心を保つのかもしれない。それなのに、どうしてかわたしの中には、貴方へ向ける世界で一番簡単な「間違っているよ」という言葉すら、時に無い。何も言えないか。何か言いたいよ。沈黙を撃ち抜きたい、そんな慈悲をお腹の下で温めているんだよね、大丈夫そう言ってほしいのなら誰かの代わりにわたしが、君と同じだと言うよ。いのちは軽いかもしれない、人間は居ないほうがマシかもしれない、それでも誰かを救えなかった歌と誰かを救えなかった言葉、それを聴きながら、それにすくわれながら、生きているのがわたしたちなんだ
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