ニトー

HOT SUMMER NIGHTS ホット・サマー・ナイツのニトーのレビュー・感想・評価

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エロい、カッコイイ、可愛い、最強エトセトラエトセトラ。
およそ考えつく容姿にまつわる肯定的な表現をわがものとしたことで知られるティモシー・シャラメを初体験してきました。いわゆる処女シャラメです。
と思ったら「インターステラー」でケイシー・アフレック(が演じた役)の幼少期を演じていたんですね。あまり印象に残っていなかった。

巷で言われるほどのイケ☆メンとは映らなかったですね、すくなくとも「ホット・サマー・ナイツ」では。
まあ、イケメンというかその魅力でもってかどわかす役どころは本作においてはシャラメではなくむしろハンター役のアレックス・ローとマッケイラ役のマイカ・モンローに託されているから、でしょうが。「君の名前で~」を観たらシャラメに悶絶できるのだろうか。

本編とは別件なんですが、本作のパンフレットが8㎝CD(なつかしい)のパッケージ風になっていて、めちゃんこおシャンティでございます。わざわざ角に折れを印刷していたり、中々に凝っていてすんごい良い。代わりに1000円とやや高めの値段ですが、本編のスチル(?)がブロマイド(?)風に十数枚収められていまして、むしろお得感がありますので余裕がある人は買って損はないかも。


もう一つ本編とは別に気になったことがあったんですけど・・・えー誰ですか、宣伝に「アオハル」なんて言葉使ったの。アオハライドとか雑誌のアオハルが元ネタなのか知りませんけど、こういういかにも広告屋が使いそうなワードをこの映画の宣伝に使うのはズレてるかと。もっとノワールよりだし。



前置きはこの辺にしておくとして、本題に。
過去の年代のブームというのが一定の周期で訪れる、というのはよく耳にする話でございますが、2010年代がまさに70~80年代を舞台にした映画が多かったことを考えると、2020年を控えたこの年に明確に90年代であることを打ち出しているこの映画がフィーチャーされるというのは妙に得心がいく。

とはいえ、劇中で流れる曲は90年代のヒット曲などではなくバラバラの年代の曲だったりするのは、後述するように結局のところは監督のナラティブに他ならないからなのでしょう。というか、実際にインタビューで年代的な整合性よりも感情に寄り添った選曲をしてる、といった旨の答えを示してるし。

ナラティブでいえば、編集の感じとかどことなくマイク・ミルズ監督の「20th century women」に似ているなぁと思ったけど、あれもかなり個人的なナラティブ映画だったのを考えると、「ムーンライト」を筆頭にA24スタジオはこういうタイプの映画が好きなのかしら。

劇中のドライブインシアターで「ターミネーター2」が上映され、ストリートファイターⅡの筐体が遊ばれ、湾岸戦争やフレディ・マーキュリーの死など、90年代(というか91年にあった出来事)の事件がピックアップされ、ある少年によって語られる。ほかにも91年のパブ、とでも呼びたくなるようなモチーフは頻出するのですが、その辺はパンフレットの長谷川氏の解説に任せるとして、重要なのは既述した事件が「語られる」ことにある。
だから、同じくとある少年によって語られるこの映画の一連の出来事は、それらと並列されるべき91年に起こった大事件の1つとしてある。

そして、その少年とはおそらくこの映画の監督であるイライジャ・バイナムそのものだろう。87年生まれの監督だから、91年当時の体験そのものではないにせよ、大学で出会った2人の人物にインスパイアされたというから、注がれる視線というのはやっぱり極めてイライジャ監督のパーソナルなものだと思う。

あとは最大級の嵐であるハリケーン・ボブが91年だったから、それをクライマックスにぶつけることで、よりとある少年=イライジャにとっての伝説的な物語を演出したかったのでしょうね。
最後の語りと、イージーライダーなあのカットも含めて。
最後の最後に「そして伝説へ…」的なテロップを入れても違和感ないような。


明らかに脚色に脚色を重ねているけれど、それでも事実をベースにした、と言い張るのはイライジャ監督にとってその脚色された美しい物語こそが事実だからだろう。だって別に、事実ベースであるなんて文言は必要ではないから。


確かに青春映画ではあるけど、同時に一種のファムファタールとしても見れなくはない。ないのですが、それはそれであまりに男性目線的でもあるんだけれど、まあ語り部のことを考えるとやっぱり間違いではないかも。
そもそも、この物語自体が語り部である少年が彼女の最後から逆算したとも言えるわけで。

だってマッケイラとかかわった男はみんな死んでますからね。なんか、ポップなモンタージュでさらっと流されてますけど。そういう観点から見ると、キャンディーの間接キッスは、そのファムファタールとの一線を越えてしまった瞬間に見えて(ワンカットだし)すさまじくドキドキしました。もっとねっとり糸を引いてたりしたらなお良かったですけど。

実兄のハンターにしたって、マッケイラの泣き落としがなければ、あるいはあの結末を回避できたかもしれないわけで。


劇中で多用される音楽は、個人的にはあまり印象には残らなかったかなぁ。いや、流すのはいいんだけどいつもフェードアウトするタイミングがメドレーのダメな方の編集感があって・・・私のリズムと合わなかっただけかもしれませんけど、「GoTG」が知らない曲でも印象に残るのと比べるとそこまで合っていたかというと、どうなのだろう。
たしかロベール・ブレッソンが眼のためにあるものと耳のためにあるものとが重複してはならないとか、映像と音とは互いに手を貸して支えあってはならない。そうではなくて、おのおの交替に、一種のリレーによって働かなければならない。とか言っていたけど、そういうことなのかな。いまいちピンとこないけれど。

音楽もそうですけど、全体的に露骨ではあるんですよねモチーフの使い方が。それを分かりやすいと捉えるかこれ見よがしと捉えるか。



役者は軒並みよござんした。メインとなるナウなヤング(死語)たち、個人的にはティモシーよりもハンター役のアレックスが良い。ジャック・レイナー的な脆さを湛えつつも、その脆さに裏打ちされた強さがしっかりあって、ハンターの田舎者間のカリスマという役柄にどんぴしゃりで。

若い役者陣はいわずもがななんだけれど、所々で顔を出す大人たちがそろいもそろって強面ばかりで、その辺のジョン・ワッツ的な大人の持つ恐怖と先達としての言葉の力(悪者も善人も)みたいなものがあって、大人の出てくるシーンは軒並み良い。

しかしデックス役のエモリー・コーエンが20代というのは詐欺でしょ。どう見てもおっさんだよ。あの雑魚っぽいムーブとそれでもやることはしっかりやるというのは、それっぽくもなくもないのかもしれないけど。
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