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いろとりどりの親子の会社員のレビュー・感想・評価

いろとりどりの親子(2018年製作の映画)
4.0
ゲイ、ダウン症、自閉症、低身長症、殺人犯、、、。様々な課題を抱えるそれぞれの子供達と、その家族に焦点を当てたドキュメンタリー。
映画の原作を書いた筆者本人も、ゲイである。家族に自身の性的嗜好について受け入れてもらえなかった理由を探るべく、様々な家族の形を探り、上記の家族達に出会った。

皆それぞれ課題を抱え、世間の目や障害と闘いながらも、現在の幸せな日常を手に入れることが出来た。
ダウン症でもものを覚え、友人と暮らしながら働くことが出来る。自閉症でもボードを使って意思疏通をすることが出来る。低身長でも仲間を見つけることが、あるいは恋をして子供を授かることが出来る。
彼らの障害は、治療すべきものではなく、個性として祝福すべきものなのかもしれない、と筆者は示唆する。

しかしこの映画は平凡なドキュメンタリーの枠を越えて、我々にさらに高度な問いを投げ掛けているようだ。それは、殺人を犯した子供を持つ家族をそこに並立させていることによる。
おぞましい事件を起こした少年は、いくら精神鑑定を行っても「普通」であると診断される。しかし罪を犯してしまった事実は厳然と存在する。母親は他人に家族の話をする時、あえて彼の存在に触れることなくやり過ごす。また、兄妹二人とも事件がトラウマとなり、子供を持つことを望まないという。
確かに留置場と家族が電話で繋がる一時は幸せと言えるのかもしれない。しかし失ってしまったものは大きく、彼らはそれを受け入れざるを得ない。その点において、障害を持つ子供を持つ親達の苦悩と通ずるものがある。

全体的に希望を感じさせる前向きなラストではあるものの、やはりそこには濃淡が存在する。当事者はもちろん、その家族も、置かれた環境を、今という時間を、そして自らの存在そのものを、受け入れるしかない。ただし与えられた課題に対する受容の仕方は能動的なものもあれば受動的なものもあり、様々である。障害の種類はもちろん、そもそもその有無に関わらず、課題への向き合い方は様々であるということに気付いた時、この映画は我々にとって普遍的な意味合いを持つ。

著名な人物の言葉を借りながら筆者は、不幸の形はどれも似たりよったりだが、幸福の形は無限に存在すると主張する。
我々の思う「普通」とは異なる彼らの在り方は、一見どれも不幸に見えるかもしれない。しかしそれらを乗り越える過程には、まさにいろとりどりの幸せの形が現れる。そして我々は、身近な問題としてそこに多くを学ばなければならない。

偏見や差別に対する風向きが大きく変わってきた現代において、長い時間をかけて、様々な克服の在り方を明らかにした、意義ある作品であった。
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