すずきたけし

一度死んでみたのすずきたけしのネタバレレビュー・内容・結末

一度死んでみた(2020年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

♫いちどしんで〜くれ〜
というフレーズが耳から離れない・・・・。

さて『一度死んでみた』のあらすじをいつものように雑に説明してみますと、主人公は♫デスデスデスデス!と歌っているデスメタルバンド「魂〜ズ」のボーカル広瀬すず。で、父である製薬会社社長の堤真一が大嫌い。加齢臭に「くーさーいー!」といってリセッシュぶっかけつつ毎晩部屋では父親の似顔絵を張ったサンドバック相手に「死ね死ね死ね」と叫びながらパンチとキック。
 ライバル製薬会社に自社の研究が漏れていることを知った堤真一は自社の松田翔太が「若返りの薬」を開発中に偶然できちゃった「一度死んで2日後に生き返る薬」を用法用量を守って正しく服用して自分が死んでいる間にスパイを炙り出そうとするけれど生き返らなければそのまま会社を乗っ取れることに気づいたライバル会社の加藤保憲じゃなかった嶋田久作が生き返る二日前に火葬にしちゃおうと画策しようとしてそれを知った娘の広瀬すずと堤真一から娘の監視を指示された吉沢亮が陰謀を阻止しようと頑張るってえ話。

まあコメディ映画を名乗るのはどうなんだってことですよ。『ヲタクに恋は難しい』にも通じるのですが、会話におけるボケとツッコミがあれば“コメディ映画”だと勘違いしているんではなかろうかと思うのです。もちそんこのボケとツッコミというパターンは日本人ならついつい笑わってしまう。これはもはや条件反射、パブロフの犬状態。ただそれは“笑わさせ”ているだけでコメディとは違う。
 近年の笑いがダウンタウン以降の芸能の“お笑い”をベースに、映画やドラマにおける作劇には宮藤官九郎の「え、ちょ、ってなに?ていうか」のような会話劇の影響が幅広く浸透しちゃって(『いだてん』は往時に比べるとだいぶ少なくなりましたね)、悪く言えば福田雄一などの作品へと波及。映画において“笑わせ”の演出が画一化しているとも思うのです。
いわばコメディ邦画の宮藤官九郎化デス!
 ボケとツッコミの“笑わせ”演出は罪深いもので、笑いの瞬発力はあるものの、おかしくて笑いが止まらないという持続力はないんですよね。
なぜなら前後の文脈はほとんど関係なくシーンごとの会話で散発的に繰り返されるだけだから。(だからこそ『翔んで埼玉』の持続する笑い、ツッコミ不在の怒濤のボケが新鮮に感じてしまう)

また豪華キャストといっても「あ、妻夫木だ」「あ、古田新太だ」くらいな感想だもんで映画に何か変化をつけるほどのものでもなく、なまじ次から次へと知った俳優が出てくるもんで話に集中出来ないというのもありました。
で、このタレントパーリー感はどこかで観たことあるなぁと思っていたらアレだ『新春かくし芸大会』の映画パロディネタですよ。意味なく旬のタレントがチョイ役で出まくるヤツですよ。スタッフが面白がってる感じ。いわゆるフジテレビの内輪感覚。
この映画にスタッフの笑い声が入っていたら完璧なんですが。

最後にコメディのつもりだからって脚本に手を抜くんじゃねえ。ということは強く言っておきたいデス!

「死んで二日で生き返る」という荒唐無稽なプロットは問題ではないんです。実際、コミュ障がウォークマンを拾ったら持ち主の死んだバンドマンが乗り移るという隠していない地雷並みのあらすじの映画でも傑作になるワケですし(『サヨナラまでの30分』)。だからこそ父と娘の関係だけはしっかり描いて欲しかった。これは父と娘の話なんですよ。娘が父を嫌っている理由と、それが娘の誤解だった!なあんてもう見飽きましたよ・・・・。これってただただ娘が反省するだけのストーリーじゃないですか。笑えればOKデス!じゃダメなんデス!
まあ、「くーさーいー!」って言いながら朝食を親子二人並んで採っているだけで仲いいですし、LINEを交換しているだけでも「死ね」というほど嫌っている説得力があまりないのデス!

雑すぎるんデス!
すずきたけし

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