ニトー

十二人の死にたい子どもたちのニトーのレビュー・感想・評価

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例のごとく原作は未読。

テーマ的にはかなり食指をそそられるものではあるのですが、映画としてはというと・・・ちょっと堤さん、役者におんぶにだっこすぎやしませんか。
いくらなんでも画作りが単調すぎますよ。その役者にしたって演技のトーンが統一されてないし。死にたがりの12人を集めて、その中で個々に違うということを印象付けるという意味で類友でありながら千差万別を描かなきゃならないので、ある程度のカリカチュアを要するというのはわかるんですけどね。

たとえば杉咲さんなんかはキャラクターを考慮しても演技過剰に見える。あと肝心なセリフを噛んでるところとかもあったので(よりによってシリアスな雰囲気のところで)、これは役者というよりもそれを統御する監督が悪いよ監督がー。脚本段階のものをそのままセリフに持ってきているようなのもちらほら見えたりするあたり、もうちょっとブラッシュアップできただろう、と。

役者に関しては他にも言いたいことがある。
橋本環奈をあの役にキャスティングしてどや顔してる製作には悪いですが、あの人にはそういうものを背負えるほどの知性や暗黒面は感じないです。
それこそAKB系列の平手とかいう人を使った方が良かったんじゃないかと思う。あの人のこともそんなに良く知っているわけじゃないですけど、同じアイドルにしても少なくとも別の人の方が良かったと思う。
そういうチョイスもなんか広告屋さん的なんですよねぇ。

あでも高杉くんとまっけんゆーは単体で見ればよかった。拓海くんも抑えた感じでグッド。あとファザコンポンコツ娘の黒島さんもキャラとの相性が良くてすごい楽しかった。

いやね、全体的に設定に対してクリシェな見た目なの気もしなくもないですが、同世代の役者をあれだけ配置しなきゃいけないわけだし分かりやすくするためにも必要だとは思うのでそこまで文句を言うわけではありませんけど、もうちょっとこう、杉咲さんあたりはもうちょっとこう。


あとまあ、これは自分がそもそもサスペンスとかミステリーに対して抱く根本的な欺瞞性みたいなものへの拒否反応というものが多分にあるということを自覚したうえで、しかし謎解きがそもそも必要ではないというのが。
あの謎解きを通して12人の結束が固まったという風には見えませぬし。いや、観客はそれぞれのナラティブを見せられているのである程度の共感はできるんですけど、劇中の彼らは果たしてそうだったのか、と。

で、一応ネットでちょっとさらった感じ、原作だとセイゴがそれぞれの死にたい理由を聞いていくという展開らしいのですね。まあこれが誰にどの程度なのかわからないので何とも言えませんが、そっちの方が彼らの間である種の絆を作ることができたのだと思うのです。

んが、もちろんそれを映画で表現するとなるとずっと話っぱなしということになるわけで、すでに出来上がった映画の時点でお話に演出が負けているわけで、そんなこと堤さんができるはずもないんですよ。

そう考えると、あの改変というのは苦肉の策でもあったのだろうな、と。(そもできないならやるでない、というのは無きにしも非ずなのですが、どうせできないと思うならそれこそ中島哲也ぐらいはっちゃけて実験してくれた方ががが)

ただ死にたがりを集めるというのは興味深くある。といっても、これは「ウィーアーリトルゾンビーズ」とも同じで見え透いた「生」のジャンプ台として「死」が用意されている時点で萎えるんですけど。

12人の死ぬ理由を提示した、という点は「死の多様性」に少なからず重みを見出しているはずなのでそこは評価したいのですが、それでもやっぱり12人とは絶対的に異なる他者が介在しない時点で所詮は振りでしかなく、結局のところエヴァのまごころに未だ引きずられている気がする。原作からしてこうなのかな。まあ冲方さん世代的にエヴァ直撃だろうしなぁ・・・。

劇中で言われているような「死にたいやつじゃなくて殺したいやつ」がミスリードではなく本当に彼らのグループの中に存在していたのならば、あのナラティブが振りでも単なる傷のなめ合いでも終わらないものになったはずなんだけどなぁ。残念。


しかしどう見ればいいんですかね。
ヘルペスのくだりとかを見るに、「人間失格(原作)」を読むときのような気持ちで観てほしいのだろうか、とも思うのだけれど、それよりも自分で醸成した空気に耐えきれずに「やってしまった」発作的な茶化しのようにも見えるんですよね。まっけんゆーの対応をどう取るか、にもよると思いますが。

いや、相対化させたいという狙い自体はわかる(時代だなー)し、まあ自分もああいう感じのことをとある授業で書いたことがあるわけですけど、その時の教授の対応たるや惨憺たるものでございました。

結局のところ、井の中の蛙でしかないということに思い至らない程度の無知の知すら持たない程度の知性の「考えた」とまっけんゆーの「考えた」を等価にするのは無理なんですよ。
あれの立場が逆ならまだ語る余地もあったでしょうけれど。(だからあんなカリカチュアすると余計に馬鹿っぷりに拍車がかかってしまうだろうとry)

 
これ映画じゃなくて30分ドラマで1クールにして一人につき1話でナラティブを披露していく方がいい気がする。少なくともこの退屈な演出でいくのなら。
それかアニメーション。少なくともここまで役者に依拠させるようなものにはならないはずだし。

 

あとラストもちょっとこう。山田悠介じゃないんだから。
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