茶一郎

バード・ボックスの茶一郎のレビュー・感想・評価

バード・ボックス(2018年製作の映画)
3.5
https://youtu.be/-KNZYyVmuiY
 「音を出したら、即死」(『クワイエット・プレイス』)の次は、「目を開けたら、最期」。縛りプレイありきの「黙示録後」映画が流行っている昨今で、音禁止の次は目視禁止の映画が登場したという『バード・ボックス』。
 本作は見ると自殺してしまう“怪物”=“それ”が突如、現れた世界を5年生き延びたサンドラ・ブロック扮する母と、その子供ふたりのサバイバルを描くスリラーです。

 疫病が流行って部屋に閉じこもったり(『イット・カムズ・アット・ナイト』)、音を出したら死んだり、今度は目隠ししないと外に出られないなんて、どうやって生きればいいんだ世界。
 そんな八方ふさがりな『バード・ボックス』において、特筆すべきは本作の脚本家がエリック・ハイセラーだという事です。エリック・ハイセラーは、『エルム街の悪夢』から『遊星からの物体X』まで、名作ホラーのリメイクを担当しながら、彼を一躍有名にしたのはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作『メッセージ』の脚色。お次は日本の『君の名は。』のハリウッドリメイクの脚本を抜擢される、超有望株はNetflixに降臨しました。

 その『バード・ボックス』は粗筋から想像できる「ホラー」を期待すると、やや肩透かしを食らいます。『バード・ボックス』は、『メッセージ』同様「母の物語」であり、どうしてもその「正体」を暴きたくなる“それ”は早々に「正体らしきもの」が台詞でのみ説明され、あくまで「見てはいけない」、「死」はメタファーとして母、家族を追い詰めるものでしかありません。
 
 脚本家エリック・ハイセラーの起用も本作がジャンル的な「ホラー」ではない事を強調しますが、この『バード・ボックス』の監督も同様の事が言えます。
 本作の監督スサンネ・ビアと言えば、映画運動「ドグマ95」に見出された作家の一人。『未来を生きる君たちへ』(酷い邦題)でアカデミー外国語賞を獲得し、毎作、「主人公が家族の一人を亡くす」、ベタな言い方をすると家族ベースの「喪失と再生」を描いてきた人物です。
 最近は『セリーナ』など、あまり褒められない作品を撮ってきたスサンネ監督ですが、デビュー作『しあわせな孤独』から一貫した母の物語を、ジャンル映画的な設定を基に語ったのが、この『バード・ボックス』と言えます。

 お話を『バード・ボックス』の物語に戻したい所ですが、本作は非常に抽象化された「母の子供ふたりの物語」ですので何とも踏み込みづらい。どこまで抽象化されているかと言うと、子供の名前が、息子「ボーイ」、娘「ガール」ですから。
 そして主人公の川下りは「人生は川の流れのように」と、人生そのもの。人生良きことばかりではない「急流」も出てくる、この抽象度の高さたるや!

 肝心のホラー要素は、最も近い作品はシャマランの『ハプニング』と言った所でしょうか。(マイケル・ウォールバーグが観葉植物に話しかける“怪”作で有名)
 主人公は「見られない」が、我々、観客は「見られる」という情報量の差が、サスペンスを生む描写多数。まさに『メッセージ』でも「カナリア」が毒味をしていましたが、本作『バード・ボックス』でも「鳥」が毒味役。もちろん、“怪物”の存在に察知できる「鳥」のように、我々も“それ”の接近を察知しハラハラドキドキとするシステムになっています。
 『ハプニング』しかり、こういったスリラーはヒッチコックの『鳥』が元ネタで、『鳥』において人類を攻撃する「鳥」が本作では味方になっているのが面白いなァと……しかしながら、子供の教育って大変ですねェ……(映画に関係ないようで関係ある)
茶一郎

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