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ザ・ライダーの海のレビュー・感想・評価

ザ・ライダー(2017年製作の映画)
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夕焼けをみるとき、風をかんじるとき、いつかそのたびに、なにか書かずにはいられなかった。いまは逆だ。黙りこんでしまうことが増えた。新しい発見より、思い出す記憶のほうが、多い。わたしのこの手から、逃げ出していった、いきものに似た記憶のことをおもう。この映画を受け容れる、そのためだけに、わたしにはまだ、本当に莫大な勇気が要った。正しさがわからない。わたしは幼い頃から、本当に動物が大好きだった。何よりも一番、保健所が嫌いだったし、競馬もロデオも、ペットショップも嫌いだった。大人になったら、動物をすくうことが夢だった。そしてわたしは、いろんなことを知った。保健所で、飼い主に捨てられた犬や猫がどんな死に方をし、どんなふうに焼かれ、骨はどこへいくのか。ばらばらと処分機から落ちてきて、鉄くずみたいに山になった死体をこの目で見た。死んでいく姿より、持ち上げても抵抗しない首や腕、開かない目、動かない鼻を見て、言葉を失った。競馬やロデオについて調べたときにはじめて気づいたのは、乗る人や叩く人の存在じゃなく、日頃そばで馬や牛の世話をしている人の存在だった。ペットショップの実態を知りながらも4年前、ペットショップから連れ帰った猫は、一度店側が「客に売れない」と判断した猫で、迎えたいと言ったわたしに店は30万円の値段を提示した。この映画に出てくる、ロデオを愛し命をかけている彼らの生き方を、わたしには否定することはできないし、それでも好きになることも素晴らしいと思うことも一生涯ないだろう。けれどわたしの葛藤は、彼らのそれと、違う方向を見ているだけで、決して遠く離れてはいないのかもしれないと、また気づかされる。虐待も殺処分も、あってはいけないことだし、動物を走らせたり縛り上げたりする様子を楽しむのも、あってはいけないことだと思っているし、命に値段がつくことも、あってはいけない、おかしいことだと思う。でもその、正義だけで研いだ刃って、脆い。すごく脆い、切り付けたい人の、逆剥けさえも落とせないくらいに。口だけじゃ、思弁だけじゃ、どこへも行けない。小学校の卒業文集に、将来の夢を書いた。「島に行って自然と動物に囲まれて暮らすこと」それがあの頃のわたしの夢だった。ひとと共に生きた動物の話を書くより、野生に暮らす動物を覗き見、干渉はせず、ひたすら記録することが夢だった。望んだようにはいかない。機会を逃し、間違った方を選び、遠回りをし、その少しずつの差で、思い描いたはずの理想とは違う自分になっていく。それでもどうにか、こたえを、みつけようとし、転んでも、痛くて立ち上がれないほどでも、生きているかぎり、どこかへ向かおうとする最低限の一歩ずつを、わたしは踏みしめているんじゃないかな。そしてそれこそが、夢をみるということなんじゃないかな。これまでのわたしの短い人生にも、何かを諦めた瞬間って、本当に数えきれないほどあった。かなわなかった夢に帰りたくなり、もう会えないひとに会いたくなり、手放したほんの少しの誇りのために祈った。外に出て、夜の風は、つめたくて、昼間に会った人がいま何をしているかと考えた、その人にもわたしと同じように、もう会えない人も、いつか捨てた夢も、あるんだろうかと考えた。顔って、太陽のしたでみるときと、たそがれのなかみつけるときと、つきあかりのもとでみつめるときで、別のいきものみたいにちがくみえる。その目、いろ、表情。わたしもおなじだ。あなただっておなじだ。憎んでたひとを、憎めなくなることって、ほんとうにほんとうに怖い。そうだよね。変わっていくことを、怖がったらいけない。どんな景色にも、裏側に誰かがいることをわすれたらいけない。みえないものをみつけないといけない。悲しみがやさしさを生むように、孤独がわたしを抱くように、わかりあえずとも言葉よ心を、よんで、わたしは、目の前にある生活を、暮らしを、いのちを、おそれることなく、大切にしたい。
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