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ウィーアーリトルゾンビーズのsanbonのレビュー・感想・評価

3.1
久々に集中出来なかった映画。

もう今回はこれに尽きる。

全然まともに世界観に入っていけなかった。

なんとか最後まで鑑賞こそしたが、多分見逃した場面や聞き逃したセリフだらけであるから、この作品をどこまで理解しているのかさえ自分でもよく分かっていない。

なので、結局なにを伝えたかったのかが分からないまま終わった印象だったのも、僕がただ大事なところを見ていなかっただけかもしれないし、そうじゃないのかもしれないが、結局はそれすらも分からない状態であると前置きしておこう。

まず、今作は両親を同時に失った4人の中学生が、偶然同じ日に同じ葬儀場で出会う所から物語が始まる。

この4人は、様々な理由から両親の死にも悲しめず涙すら流す事が出来ない事から、無感情のまま死んだように生きる自分達を"ゾンビ"と揶揄する。

だが、何故親の死に目にも涙する事が出来ないのか、その理由が序盤にかけてそれぞれに語られるのだが、それがあまりピンとこず初っ端から感情移入が出来ない。

例えば、バス事故が原因で孤独になった「ヒカリ」は、両親ともが多忙で自宅にほとんど誰もいない生活が常であった為、今更1人になろうがなにも変わらない、自分は愛されていないと感じているから悲しくもないんだと説明されるのだが、鍵っ子だった僕から言わせてみれば、そんな事だけじゃ感情を失うまでの親への無関心が芽生えよう筈がない。

というか、むしろ逆だ。

ほとんど会えないからこそ、愛しさも増すのではと思ってしまう。

ましてや作中の描写から読み解くに、少なからず両親はヒカリに対して無関心ではなかったし、罪滅ぼしと言わんばかりに欲しいものはなんでも買い与えられ、なに不自由ない生活を送れているではないか。

それだけでも、親のいる有り難みを感じるには十分過ぎるのだから、泣けない理由がこれでは決定的に弱過ぎるうえに圧倒的ガキの戯言でしかなく、そんな理由だけで感情失ってんじゃねえぞと微かな苛立ちすらも覚える。

その他の3人も、決して"愛"から見放されている訳ではなく、良くも悪くもコミュニケーションがしっかりとある家庭環境として回想されているから、なんでそんなに感情枯れてんだろうなぁと、感覚的にズレまくり冒頭から入り込めない。

このように、まずこの4人の今の境遇とそれに至るまでの過去に"同情"出来る余地がないのが痛い。

それは、どんな家庭でも完璧などある訳がなく、大小の違いはあれどなにかしらの不満や憤りは必ず抱えているものだし、それがあって当然であるという概念が前提にあるからだ。

そのうえで、この4人の言い分はどれもが世間的なお悩みの範疇にもギリ収まるレベルの苦悩であり、そんなんばかりだからただのないものねだりにしか感じられないのだ。

なによりも近しい存在である肉親が死んだのに、涙の一つも出ないというのは、裏に壮絶なバックボーンの一つや二つでも無ければ、中々話の潮流には乗せにくいものがあるのだが、ハッキリ言って今作ではそのネタがあまりに弱過ぎる。

百歩譲ってそのワガママじみた言い分も、まだ子供だからという見方もしようと思えば出来なくはないが、そうするとじゃあなぜ愛情がまだまだ欲しい筈の子供が、それを享受する立場にある存在の死に対して泣けないのか?という根本的な疑問に立ち返ってしまう。

また、仮にはじめから愛情など求めていなかったとするならば、今度はこの作品が掲げる「感情を取り戻すための冒険」がそもそも成り立たなくなる。

何故なら、泣けない事を前提に感情が無いと定義付けられた今作において、泣けなくなった理由が両親や家庭環境にあったと結論付けるなら、そうなった原因は愛情を感じていなかったという答えに必然的に帰結する訳であり、そうなると描写として愛情を感じるような回想自体が見せ方として問題となってしまう。

この物語に入り込ませる為には、愛情表現と捉えられる描写は"皆無"でないといけない。

だが、今作にはそれがある。

だから腑に落ちない。

そして、感情を取り戻すという目的で始まる物語において、視聴者が想定する結末は勿論両親の死に対して"泣く"姿であり、その後に訪れる"笑顔"である筈なのだが、驚く事に今作では逆にそれは用意されていないのだ。

あってはならないものがあって、なくてはならないものがないから、正直この映画はこの物語を通して観てる側になにを伝えたかったのかまるで分からなかった。

また、今作では感情を取り戻す過程として、何故かバンド活動を始める事となり、その楽曲と世界観が世間にウケて一躍大人気になる姿が描かれる。

そして、4人もまた感情を取り戻す為にはこの活動が必要であると感じはじめるのだが、実際のところは"社会的認知"を得た事で起こる、とある鬱展開を描き出す為のステップでしかなく、バンド自体もそれを発端に呆気なくなんの後腐れもないまま解散をしてしまう事となる。

大人しく、このバンド活動を通じて彼らの世界に対する観念を変えてしまえばいいものを、それすらしないから何故この展開を差し込んだのかも分からず、おそらく今作でも一二を争う重要なシークエンスだったにも関わらず、見え方として"必要性"を感じさせないものに価値を下げてしまっていた。

そして、そんな事があってもまだ4人は無感情を貫いたままである。

ここまでの展開としては、ひと山もふた山も越えてきているのだから、社会の闇に触れ恐れ慄くでも、バンドの成功に手応えと遣り甲斐を感じはじめるでも、当初の目的としての"起伏"は幾度となく作れた筈なのに、この作品はそれらすらも最後の最後まで発展させる事なく、ずっとスーーーーーンと澄ましたまんまなのだ。

ラストも「終わりっぽくないけどこれで終わりです。」と言って、草原を歩く4人を上から撮った画が引いていって、本当に終わりっぽくなく、すなわちなんの回答も提示する事なく終わりを迎えてしまう。

決して劇的ではない平凡な人生がこれからも続いていくんだよ的なメッセージには聞こえたが、本編で散々非現実的な事ばっかりが起きていたのに、最後だけそんな事言われたところで矛盾以外の何物でもないし、なによりも結局は無感情なままで幕を下ろすのだから、意味不明にもなるというもの。

それに、一応のオチみたいなものは確かにあったが、こちらは感情を取り戻すまでをゴールとみなしているのだから、それ以外の結末では話の"すり替え"でしかない。

また、映像面の見せ方としては、こだわりが随所に感じられ監督の作品に対する意気込みがビンビンと伝わってくるのだが、それと上手い見せ方かどうかというのは残念ながらまた別問題であり、1000%好みは別れる独特な世界観となっている。

それこそ、如何にも僕が嫌いな映画賞が好みそうな映像表現と言ったところか。

今作は、そんな人の感性によって見え方が変わってしまう映画であった為、どちらかといえば"映像特化"の本作において、敢えて今回は映像ではなく共通認識を持って頂きやすい内容に対して詳しく言及してみた次第である。

まあ、個人的には演出が無理で全然集中出来ていなかった身でなんだが。(ごめんなさい。)

※追記
どうやら今作はエンドロール後の映像こそ最も大事らしいので、これから観てみようという方は何がなんでもそこまで観るように提言しておく。

ちなみに僕はそこまで観なかった為、上記の様な感想に留まった。
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