映画館で観れるとは思わなかったニャン
😻
デジタル・リマスターが観たかったニャン(フェリーニ編もっとリマスターさぁ)😹
アメリカの文豪、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を、ロジェ・バティム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニがそれぞれ映画化した、オムニバス方式のホラー映画の傑作
ポーもホラーもフェリーニもファンな、
オイラにとっては、ご馳走🍗🐾🌈
フェリーニ編が特に、優れていて、その豊かなイマジネーションの奔流に痺れる
『世にも怪奇な物語』 (1967)
🇫🇷フランス 🇮🇹イタリア 122分
第一話 黒馬の哭く館🐴 4.1
原作 メッシェンガーシュタイン
(ポーの最初の短編小説)
監督 ロジェ・バディム
主演 ジェーン・フォンダ
ピーター・フォンダ
舞台は中世ヨーロッパ
自由奔放で酒池肉林の限りを尽くす
女大貴族が、横恋慕をしてしまい、
自滅していく話し
『血とバラ』のロジェ・バディム監督なので、やはり異端でエロティシズムに溢れる映画であった
ジェーン・フォンダが非常に魅力的に撮られており、金髪に揺れる横顔は、ドヌーブの様に妖しくも美しい
ジェーン・フォンダを執拗に撮る、という行為は、当日恋仲にあったロジェ・バディム監督の視線そのものであり、映画は監督のものとなっている
ミニスカート風や、リボンの騎士風、下半身丸出しなど、ファッションはジェーン・フォンダのポップで自由奔放な性格を切り取っている
同時に、運命の男として、実弟のピーター・フォンダを登場させる、倒錯した演出が成されている
結局、突き詰めるタイプのジェーン・フォンダは、恋の炎に焼かれて、破滅していく
絵巻もののような、タペストリーのような、波乱の描写、女性の全てには到底理解が及ばない、その諦めの諦念に、時間が記憶がされて、結局、記述の世界に、ポーの小説に収斂していくような感覚が
見事だった
第二話 影を殺した男🎭 4.6
原作 ウィリアム・ウィルソン
監督 ルイ・マル
主演 アラン・ドロン
ブリジッド・バルドー
ヨーロッパの町並みの袋小路を、自らのドッペルゲンガー🎭から逃げる、軍服姿のアラン・ドロン
男前👱✨
逃げる男に近接したカメラの描写なので、ポーの小説世界からは、自然と動的で主観的なものとなる
全編に渡り、ルイ・マルのビジュアルイメージが澱みもなく完璧で、流石、『死刑台のエレベーター』の監督だと、その天才性に痺れる
ドッペルゲンガーについて、二つの解釈が可能かと思える
一つは、人格の解離
悪徳の限りを尽くす、主人公に対して、
分離した善性な人格が処罰を下すということ 閉じられた世界観
もう一つは、平行世界の存在
この場合は、混沌とした世界観であり、
人間では、全くコントロール不能となる
単なる確率の連鎖、カードゲーム🃏の
ような
SF 的な視座を、ポーは持っていたのであろう
また、ドッペルゲンガーのテーマは、リアリティがあって恐怖する
第三話 悪魔の首飾り 💯以上
原作 悪魔に首を賭けるな
監督 フェデリコ・フェリーニ
主演 テレンス・スタンプ
イギリス人俳優(テレンス・スタンプ)は、妖しい夕闇🌇の中、ローマの空港に降り立つ
映画の撮影🎬のためだ
映画監督は、世界的巨匠のようで、
ドライアーとパゾリーニの中間を行き、
ジョン・フォードの風味を加えた、
アンチキリストなウエスタンを撮ると
のたまっている
この映画監督はフェリーニ自身であろう
イギリス俳優は、アル中であり、死相が出ている
この俳優は、人相がポーにそっくりで、
エドガー・アラン・ポーを化体したものだと分かる
このポーを主人公として、彼の見るローマの目線で、フェリーニの主観的タッチで描かれるこのホラー映画は、時としてポーに対して風刺的であり、独創性が際立っていて、前人未到な境地な映画と成っている
世の終わりの様な空港のイメージ、尼僧たち、きらびやかな映画祭、ネコの様に四つん這いで去って行く美人レポーター、黒衣の美人👼✨が結婚を言い寄る、油断をすれば美女・美女・美女 白い天使のような美少女悪魔👿✨ 深夜のレーシング、そこに飾られる気味の悪い人形など、フェリーニのイマジネーションの凄さよ
全ての道はローマに通じるハズだったのに~
黒い天使に白い悪魔、痺れます
回顧すれば
ギリギリの表現に挑む姿は
『8 1/2』とポーは同等であり
透けて見える
ポーを哀悼するフェリーニの
シルエット👥は
美しい
2023ー92ー72
(要、推敲、明日でも)
●追記(2024年3月)
この3つの挿話に加えて
ジョセフ・ロージが、「約束ごと」を
クロード・シャブロルが、「タール博士とフェザー教授の魔法」を
オーソン・ウェルズが、「赤死病の仮面」と、「アモンティラードの樽」を
ルキノ・ヴィスコンティが、「メルチェルの将棋指し」と、「告げ口心臓」を
撮るハズだったそうで、実現して欲しかったよ、めっちゃ豪華💐