芋けんぴ

天気の子の芋けんぴのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

<2回目>
1回目より2回目の方がよかったし、あまたの否定的な批評や感想を聞いて、整理してもなお「いや、俺はこれでいいと思う」と確信が持てた。

だって陽菜と帆高がやったことは「異常気象を治める力」を不意にしたことであって、「異常気象を招いた」わけではないから。

異常気象に対して罰を受けなきゃいけないのは僕らや僕らの上の世代であって断じて2021年の帆高や陽菜たちではない。

やはり本作は今を生きる子どもたちに向けて作られた作品として意義あるものだと思う。こういう作品を作った新海さんを僕は全力で擁護します。

<初見>
勝手にこんな世界を託されている「僕ら」の物語。

「天気なんて狂ったままでいい!」

穂高の叫びは、そういう世界で生きるしかない「僕ら」やその下の世代の叫びを集約してる気がする。

その「歪み」を正すために誰か一人が犠牲になるなんて、そんな生贄は許さない。出したくない。ここで生きるしかないのだから、みんなで大きな犠牲を切りわけて、負担しあう以外にこれからの時代を、ある意味で「開き直って」生きることなんてできない。

かつて宮崎駿が言っていた。

「アトピーにしても何にしてもそういうのを背負って生きていかなきゃいけないのがこれからの子供の宿命だと思ってる」

「今の子供たちは自分たちが祝福されてないと本能的に感じてる」

この映画では陽菜の力を大人たちは誰一人まともに取り合ってないからこそ、二人の秘密は二人に「決断」の重みを強いらずに終わることができている。

そもそも陽菜の晴れ能力は晴れを未来や他の地域から「前借り」してるだけであって、大量の雨を生む雲を彼女が生成しているわけではない。

だから東京水没も起こるべくして起こっているだけのことかもしれない。

そして、すべては主題歌でも歌われている。

「何もない僕たちに何故夢を見させたか。
終わりある人生に何故希望持たせたか。
何故この手をすり抜けるものばかり与えたか」

ようするに「何で産んだんだ?」て究極の問いにも繋がることでさ。

この先世界が悪くなる、良くならない、狂うばかり、そうわかってて何故産んだのさ、と。

なんで子供のうちだけ甘いお菓子と抗菌化された本だけ与えて夢を見させたのか。

現実は穂高が東京でぶち当たったように汚く過酷なのに、その上「犠牲」まで求めて、自分たちはいい時代だけ胸に抱いて去っていくのか、と。

大事な人を見つけられたときくらい利己的に生きてもいいだろう、と。

社会も世界もみんな知ってる。

いまどき知らない子供なんていない。
未来はよくならないと知ってる。

それなのにまだ「自己犠牲」なんて宗教を押し付けようとするのか。

そういうこと含めて考えるとこれはもうその他のセカイ系とは同列に語れない。

なんせ今ある世界の歪みは人類がやってきたことの集積だから。

「君の名は。」に比べてクライマックスはエモーショナルさに欠けるけど、訴えようとしてるテーマは、やっぱり今の時代にあっては切実だし、ネット社会を含めた若者文化の肯定は30代の僕が見ていても居心地がいい。

さぁ、入れ替わりタイムスリップカップルに天気を操る少女と能力者が揃ってきたことだし、次作では新海ユニバースがどんな風に広がるかな?雨で水没した東京を舞台にした巫女三部作の最終作に期待(いや、そういう映画じゃない)!!
芋けんぴ

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