喜連川風連

天気の子の喜連川風連のレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
3.0
映画館を出ると、劇中のようなさんざめく雨。
東京は数十年に1度の長雨に見舞われている。
もう7月になるというのに「夏」はまだ来ない。

さて、そんな本作の裏主人公は「東京」だろう。

前作「君の名は。」での東京は
地方の人がイメージするキラキラした東京しか出てこなかったが、今回はありとあらゆる東京が出てくる。

墨田区の下町エリア、田端、新宿の裏路地、池袋、渋谷、銀座、六本木
まさに縦横無尽に東京を描いている。

「君の名は。」がある意味「夢の中の話」であり、非現実的なのに対し、「天気の子」はある程度上京というリアルを描いているので、前回批判された「これは本当の東京じゃない!」という声に応えた格好か?

現在の東京がもし首都直下地震や戦争などで壊滅した日にはこの映画は墓標となるのかもしれない。

内容は
いわゆるセカイ系(彼女と僕のセカイで完結した極狭いコミュニティが世界に影響を及ぼしてしまう話たちの総称)(エヴァンゲリオンが代表格)
ど真ん中である。

痛々しい独白や説明台詞が多く、年齢層が上がるにしたがって、共感の難しい映画だろう。
自分に都合のいい世界や言動が溢れており、観る人を選ぶと思う。

キャラクター造形に関しても、アニメ的なディフォルメを施されたキャラが多く、リアリズム溢れる世界の中で少し浮いていたが、これも物語をわかりやすくしている。

先ほど、セカイ系と書いたが、その後の展開は他のセカイ系とは明らかに違う描き方をしており、これが本作の評価の別れどころ。



以下ネタバレ



これまでのセカイ系は
君と僕のセカイで世界を救う話がほとんどなのに対し、「天気の子」は君と僕のエゴイズムで自分を満たすだけで何も救わない。
瀧くんのおばあちゃんの暮らしは奪われ、恐らく、あのおっさんは娘と暮らせていない。

「それでもいい、運命の人といられるなら。」と本作は言う。
「晴れが正解」なんて誰が決めたのか?と問いかける。

途中までは既存のセカイ系文脈にのりながら君と僕のわがままもとい作家のエゴイズムでごり押しする。
結局、なぜ主人公が銃を手にしたのか?特段深い意味もなく、たまたま的な処理をされてしまう。

お姉さんのバイクスキルの高さもアニメのお約束だが、あのリアリズム溢れる世界でやってしまうと違和感がすごい。

リアルな描写であるがゆえに、観客に考える隙間を与えず、あらゆる物語の矛盾や整合の合わない部分を飲み込んでいる。

写真のようにリアルだが、空想のようにファンタジーだ。これを受け入れられるかどうかはかなり人を選ぶのではないだろうか?

新海さん自身、賛否両論溢れる作品を作りたかったと言っていたが、これは狙い通り賛否両論溢れる作品になるだろう。

物語にリアリズムや合理性を求める人やある程度人生の酸いも甘いも嚼み分けて来た人には刺さらないだろうし、救われなかった青春時代を過ごしてきた、あるいは過ごしている人には深く突き刺さる作品となっているのではなかろうか?

個人的には東京をほぼ理想的な形で切り取ってくれたことに対して拍手が止まらなかったし、鳥肌が立った。ただ、物語は描写のディテールでごり押ししてる感は満載。

僕たちは大丈夫だ!の叫びが痛々しい。

とはいえ物語の出来を差し引いても、映画館で観てよかった、
そう思えた映画であるし、これからもそうあり続けるだろうと思う。
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