フジリソ

天気の子のフジリソのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

雨が降り続く東京で、家出少年・穂高が出会ったのは天候を操れる少女・陽菜だった。穂高と陽菜はその能力を駆使してちょっとのお金を貰いながら人々の笑顔を取り戻すが、天候を操る力は代償を伴い、陽菜は天へと昇ってしまう。陽菜を失った穂高は陽菜の犠牲で青空を取り戻した世界に怒り、陽菜を取り戻しに走り出す。

基本的なお話の流れはこんな感じで、そこに穂高と陽菜の社会的困窮が加わり二人は能力の代償とは別の件で更に追い詰められていく。

賛否両論ありますが(自分の周りでは軒並み好評ですが)、僕はとても大好きな一作でした。ただ、怒る人の理由も分からないではないです。

今作は、俗にいうセカイ系というジャンルに分類されるお話だと思います。僕なりに解釈したセカイ系は個人的なミクロな問題が、そのままマクロな全体的な問題に波及することで主人公たちの願望が最大公約数的な幸福に阻害されていくというジャンルなのかなと思っています。

世界の妨害に挑むからセカイ系、これは色んな定義があると思います。

天気の子では少女の存在と異常気象ひいては環境の危機が天秤にかけられます。選択するのは、主人公である穂高で、彼は自分の恋と世界の危機の二者択一を迫られる。

迫られるといっても、穂高はほぼ迷わず自分の恋心を優先させエゴを通す。ここがエモーショナルな瞬間で、今作にのれたという人のほとんどは彼の選択に同意できたから、逆にのれなかった人ははここの選択が自分勝手で許せなかったというのが多かったのではないかと思いました。

それで僕は完全にのれた人間なわけで、じゃあ何故のれたのかという話になりますが、それはストーリーテリングで僕を世界への怒りにうまく誘導できたからだと思います。

今作は件の天気を操る能力とは別に、穂高と陽菜がそれぞれの立場ゆえに社会的に追い詰められていきます。

親を失っている陽菜は弟との暮らしを守りたいという願いを困窮と社会福祉に引き裂かれようとしていて、一方、穂高は未成年の家出人で、少女の危機に拾ったピストルを発砲してしまったことで警察からマークされてしまう。

つまり主人公を追い詰める要因が二つになります。一つは能力の代償、もうひとつは公権力からの追求。

3幕構成の2幕目にあたる部分で、主人公たちはその二つの異なる危機に同時に晒されます。雨どころか雪が降りしきる夏の東京の逃避行で、穂高たちはどんどんと追い詰められていく。やっとのことで逃げ込んだホテルで陽菜は天に昇って行ってしまい、翌朝穂高は警察に身柄を確保されてしまう。

ここで上手いというかちょっとずるいのが、陽菜が天に昇った件と穂高が拘束された件はまったく別の話であるということ。

穂高が追い詰められていく際、とにかく世間と警察が冷淡に描かれています。ちょっと一方的ですが、リアリティはあると思いました。特に頭に来たのがホテルの受付の人間、こんな寒い中震えてる子どもがいるなら部屋にいれてあげればいいのに。

今作で目立ったのがこういった優しさのない人間でした。ホテルの従業員しかり彼らのほとんどが面倒ごとは嫌だから少年たちを避け、警察は少年たちがこんな風になっている理由はしらないが、仕事だから身柄を拘束する。ここまで極端な人たちばかりではないと思いますし作劇場の都合で過剰に描かれている部分はあると思いますが、彼らの行動原理は理解できるしそういう対応はそこかしこで行われていると思います。

こうして出来上がった状況は、少年たちには少年たちなりの理由があるのに誰も聞く耳をもたない。その上、陽菜の犠牲の上に成り立った晴天なのに、世の中は能天気に晴れ間に浮かれている。

これはある意味当たり前の反応なのですが、穂高の行動や切迫感を共有している観客から見ると、フラストレーションがたまる構図だと思います。観客をどれだけ主人公の無念さや怒りに同調させることができるかどうかが、セカイ系をご都合主義の自分勝手な話にするか否かの一つの分水嶺だと僕は勝手に考えているのですが、僕は上手く同調させていたと思います(冷たい人間や世間の描き方が極端かなと思わないこともないですが)。実際、僕は上手くのせられました。

だから僕は、君たちの声を聞かない世界のために君がこんな辛い思いをする必要なんてないよと思ったし、自分のエゴを貫き通すために走り出した穂高に思ったのは「行けッ!」ってこと。とにかく走れ、陽菜の元へと応援です。ファイトだよ、穂高君!ってな感じです。

ここで良かったのが穂高の前に最後に立ちふさがり、穂高が銃口を向けた先が須賀だったということ。かつては穂高だった時があって、ただそれを貫けないくらいには世の中に染まった中間地点の須賀が砦になったことで、単純な対世界ではなくて無垢な情熱と不条理に対する諦観という軸に話を持っていった。これが刑事だったら少年の自分勝手な暴走という側面がより強く浮かび上がってしまったのではないかというような気がします。(個人的にはそれはそれで結構好きな展開ですが……)

整理すると、超現実的な世界の理で失われた陽菜を取り戻すのを、その件を全く知らない現実的な世界が妨害し、その現実的な世界の妨害に歯向かう穂高が、最後に立ち向かったのが現実的な世界の理に挫折した須賀だった。…のかなと僕は解釈しました。

こうやって微妙にレイヤーが違う問題を巧妙に混ぜ合わせてすり合わせることで物語としてのパワーと納得感を産み出したのは少しズルい気もするけど、それよりも配合の仕方がうまいなっていう感心が勝ってしまったのでそこも込みで僕は楽しんでしまいました。

かくして穂高がエゴを貫き通し陽菜を取り戻したことで、世界は晴天を失い東京のほとんどが水没することになるわけですが、このオチとその処理の仕方が最高によかったです。ちゃんと東京を水没させた点も、雨が降りっぱなしになっても社会はちゃんと順応していることを描いた点もいいなと思います。(もちろんそこに至るまでの間は色々あったとはおもいますが)大人が子どもに責任の追及をしないラストは、落としどころとしては最高でした。敵意をむき出しにしてた世界は、本来は穂高たちの敵というわけではないですよっていうのは大人な着地だと思います。

また、キャラクターに目を向けてみると、穂高のメンターであり最後の砦である須賀はもちろん、それぞれの立ち位置がいい具合に配置されていて、ちょっとファンタジーすぎる弟君の存在も重たくなりすぎる話をいい意味で軽くしたのかなと思います。映像も言うまでもなく素晴らしく、2019年の東京を圧倒的な技術力で描き切ったおかげで、物語と現実がどこか地続きであるように思えたのも作品に没入できた要因でした。

本来はマイナーでオタク的なセカイ系を、ストーリー、演出、キャラクター、エピローグをしっかりチューニングして、単館ではないメジャー作品として描き切ったのは凄い。僕は、君の名はよりも好きだったし、天気の子でセカイ系ってこんなに面白かったんだなって改めて気づかされました。
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