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黒い司法 0%からの奇跡のsanbonのレビュー・感想・評価

黒い司法 0%からの奇跡(2019年製作の映画)
4.1
人を裁くのは法律ではなく人。

この作品で語られた"事実"は、国の在り方をも覆しかねないセンセーショナルな内容であり、それがまさかの実話である事におぞましさを感じずにはいられない程であった。

アラバマ州で木こりとして生計を立てていたアフリカ系アメリカ人の「ウォルター」は、いつも通りに仕事を終えまっすぐ帰路に着いていると、突然警官に呼び止められ彼はそのまま訳も分からずに、6年間もの間"死刑囚"として拘留される事となる。

無実で逮捕されるだけでも相当の絶望感であろうに、そのうえ死刑宣告まで受けて、いつ殺されるかも分からない日々を祈るようにただやり過ごす毎日がどれほどの恐怖だったのか、とてもじゃないが想像すら及ばない。

しかも、それが何の変哲もない日常を過ごしていたある日突然にである。

そんな事、もしも自分自身の身に起こったとすれば、自分をこんな目にあわせた全てを呪いながら耐えきれずに自死してしまうかもしれない。

そして、何故彼がなんの関係もない事件の犯人に仕立て上げられたのかというと、黒人であるウォルターが白人女性と当時不倫関係にあったからだった。

1980年代の南部地方は黒人差別が苛烈に行われていた土地でもあり、警察や司法など中立でなくてはならない立場の機関ですらも、こぞって州ぐるみで黒人に対する排斥運動が水面下で行われていた事実がある。

そこに、警察や検察の"威信"という名の見栄が入り混じり、犯人はどんな手を使っても必ず検挙し、検挙された犯人はどんな手を使っても必ず立件する強行姿勢が常態化していた為、時には"でっちあげ"も厭わず、その格好の餌食となったのがアラバマに暮らす黒人達であった。

実際に、今作で取り上げられた事件もとんでもなく酷い起訴内容であり、逮捕を決定付けた"証拠とされるもの"は、同じく収監中であるたった一人の男のたった一つの証言だけだった。

しかも、その証言を基に検察側は裁判すら行わずに、ウォルターを死刑囚として"強制的"に収監するインチキ具合だ。

反面、ウォルターの無実を証明する動かぬ証拠や証人は数多く存在し、ウォルター自身にも確固たるアリバイが存在しているのにも関わらず、それらは隠滅するか脅迫をして全て握り潰されるのだった。

こんな横暴がまかり通る意味が分からないし、ここまでデタラメな働きをしていた当時の司法組織に、罰が下されないのにも憤りを隠せなかった。

これは、法で秩序をもたらす筈の人間が、その法律を利用し殺人を犯していたという覆しようのない事実であり、ウォルターの弁護を務めた「スティーブンソン」がウォルターの無実や検察側の疑いようのない不正を明らかにした後も、まさかの再審請求が棄却されるという信じ難い事態まで巻き起こってしまう。

法の裁きの元に感情を持ち込んではいけないのは基本中の基本の筈なのに、劇中の法廷内には明らかな黒人蔑視が存在していたし、私情が蔓延しているようにしか見えなかったのもなかなかの胸糞であったし、エンドロールで流れる更なる衝撃的な事実に、こんな現状が未だに潰えていない事に心底絶望してしまう。

そして、今まさにハリウッドで行われている黒人差別に対するデモ活動。

ハリウッドスターらも大勢参加し、警察の暴力を助長するような映画や、黒人を差別的な表現で描く映画の制作を無くすよう訴えている。

今作でのラストは一応のハッピーエンドとなってはいるが、ポリコレの活動が活発化している現在でさえ、こういった悲痛の訴えが無くならない現実を鑑みると、どうしてもやりきれなさは拭えない。
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