eucalypso

ボーダー 二つの世界のeucalypsoのレビュー・感想・評価

ボーダー 二つの世界(2018年製作の映画)
4.5
ファースト・カットで主人公ティーナはコオロギ(かな?)を生かし、途中でヴォーレに「悪くないだろ?」とそそのかされ虫食いの禁を破り(「禁じてるのは、みんな」と言い訳するティーナが可愛い)、ラスト・カットで赤ん坊にコオロギを食べさせ、赤ん坊がウンマーと笑顔になる。

最初は、自然と感応するティーナにナウシカを重ねていた。虫愛づる姫、改め、虫を食べちゃう人ならぬ人。

ティーナはナウシカのような完全無欠のヒロインではないが、彼女の時にアグレッシブでいて真っ直ぐでチャーミングな存在感が、この映画にブレのなさを与えている。彼女は自分の境遇を過度に嘆いたり悪びれない。

とにかく全編センシュアルな表現に満ち満ちていて、嗅覚や触覚や味覚で世界を味わい尽くし、そこを起点に、私という存在がどこから来てどこに行くのか、社会という化け物じみたシステムと自己がどう対峙するのかという大文字の問題提起をてらいなく提示し、それらをスクリーンで眺める視覚に偏った自分含むホモ・サピエンスの同質化された社会にカウンターを食らわせる。

テーマ的には、人類に搾取、利用される異人=アウトサイダーの末裔を描いた古き物語で、ティーナとヴォーレは親世代が受けたサクリファイス、授かった特異な能力をそれぞれ真逆のやり方で受け止め、社会に還元する。その対比は鮮やか。

現実と幻想が拮抗し、やがて現実に食い尽くされる厳しめなダーク・ファンタジーというカタチは「パンズ・ラビリンス」的で、ラブ・ストーリー単体としてもややキレイ目に流れた「シェイプ・オブ・ウォーター」より、本作の方が遥かにハードコア。湿度が高く昏い森は「ブンミおじさんの森」っぽいけど、亜細亜や亜熱帯の森がどこか開放的でユルい叙情を誘うのに比べ、北欧の森はどこまでも冷たく、最果てのデッドエンドを感じさせる。

VFXで表現された不気味の谷を越えない赤ん坊は、まだ社会化される人間未満の異生物然としていて、「トゥモロー・ワールド」のキリストの再臨な新生児から腹から飛び出す血塗れのベビー・エイリアンまで、古今東西、想像力を刺激する素材というかイキモノだなぁと。

本作に最も近いトーンを感じたのは、手塚治虫。火の鳥の猿田彦一族は鼻が大きく醜くケガレた時空を超えた存在で、ティーナやヴォーレを思わせなくもなく、何より、極めて人間的な倫理とおのれのサガの間で揺れ動くサマがそう思わせる。

自分の本当の名前を知ることで社会的属性の鎖から解放される、アウトサイダー同士がその抑圧ゆえに連帯し惹かれ合う(ヴォーレが俺たちは人類より優れてるという賢しらな常套句を発するのに対し、ティーナは心で感じたままの平たい言葉しか使わない)、禁じられた約束を破ることでその人の真の姿が判明する(冷蔵庫に隠された箱を開ける)、さらに、とりかえばや物語や手塚も好んで取り上げたメタモルフォーゼ=変身と、原初的な物語のモチーフが頻出し、有機的に結びつき、最後までサスペンスが持続する。

アイデンティティを取り戻すことは歓びであり苦しみであり、最後にティーナが辿る道は、こうなるしかないよなぁと辛くなるが、安易にバッドエンドにもハッピーエンドにも傾かない結末に、監督の揺るぎなき知性を感じる。

俗っぽく言えば、ケモナー映画のマイルストーンでもあると思う。ぶっちゃけ、異能者、異人だって飯を食わなくちゃ生きていけないワケで、また漫画の例えで申し訳ないけど、九井諒子的な今っぽい社会派エンタメとしても、ソコから逃げていない。

人非人なメーキャップを施されたティーナが警備員の格好で淡々と仕事をこなす日常描写は、だから、とても正しく、愛おしい。

ここまで書いて、なぜか突然「ブリキの太鼓」を思い出してしまった(ウナギとウジムシが皿の上でウネウネと動く絵面...)。

あと、音楽がエモいアンビエントで最高。
eucalypso

eucalypso