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ハミングバード・プロジェクト 0.001 秒の男たちのotomisanのレビュー・感想・評価

4.0
 生き馬の目を抜くよな世界、早い者勝ちミリ秒の差が年何億ドルもの損得の分かれ目になると言われると、得しか生まない必勝の仕組みを拵える輩はどんな切れ者かと思うだろう。だが、そこがみる者にこの映画の焦点の当たり処を取り違えさせる監督の腹に一物あるところとなっているようだ。
 で、このはなし、その切れ者(もどき)、血も涙もない後出し上等の機械化株証券取引に最新必勝インフラを提供しますと起業したにしては何となくイマイチ、早口言葉の切れ味悪そうなヴィンスと従兄で、聞けば天才だそうなアントンの大失敗と思いがけない危機一髪の末たどり着く苦いのか心改まるのかよく分からん境地への到達?たぶん到達が終着点となる。
 さて監督の腹に一物だが、これは証券取引業への嫌味もしくは呪詛である。住専やリーマンで食らった強欲の名も当たり前になり過ぎて忘れてしまいそうだが、AIががっちりあなたの投資をお守りしますだの、FXにファンドラップやるっきゃないっしょだのと袖を引っ張る証券取引界での機械化の、庶民的おまかせ投資家からは見えない部分の話である。遠隔地との取引を監視して大儲けの臭いがする買い動向をキャッチしたら、最高速(使用料最高額)の回線(それがあのハミングバード)を通じて、そいつに「先回り」の買いを突っ込む早業が一般投資家を中心にそんなの後出しじゃんけんだろうと批判が出るものの、ならばお前もべらぼうな高い回線料を払えばいいだろと返されれば違法とまでは言い募れない。しかし相場師、勝負師として相手の手を覗き見する汚い稼ぎというわけだ。どうせお互い強欲同士とはいえ、やましく無ければこんにちに至って登録制など受け入れはすまい。
 嫌味といえばヴィンスの身の上の湿っぽさすらそうである。胃がんを押してのビジネス邁進に2年後の仕事の成功と生き死にの瀬戸際とを秤にかける倒錯ぶりだが、そんなありさまさえ生きる事への懸命さと映し出すよな物語に不思議と違和感を覚えない。しかし、ではなんのためそんなインフラ建設に燃えるのか?そこに元飼い主強欲サルマへの敵愾心なのか、いわゆるアメリカンドリームに飢えるスラブ系移民2世であることへの苛立ちがあるのか、これはつきあってみないと分からない。けれども、観衆の多くはつきあうどころか高額ターミナルケアをNYのペントハウスで受けて意識を霞ませる贅沢以外に彼の将来像を思い浮かべ得まい。
 ついでながら、遠からず亡くなるだろうヴィンスと彼の会社(元ネタ、スプレッド・ネットワークス社は実は生きてる)、監督が死なせたがるそれらを現に殺すガンこそ、ヴィンスの体自体が悪性新生物化した、真っ当だった細胞のいわば強欲的増殖性変化がもたらすものである。インフラ界の怪物をめざした男が身中の化け物に食い潰される事を滑稽とせず、いや観衆の一部はこれを滑稽と捻じ曲げるであろう、それが応報という事だからだ。しかし、物語はあくまで夢に邁進する愚直者の真摯な取り組みを描いている。そして実にそこが嫌味くさいのだ。
 それは彼が投資家を口説く配管工時代の悪い夢のお告げ「直線を手放すな」がなんだか呪文のように(それもそのはず、告げたとすればそれはNYきっての配管工にして彼の親父)聞こえる辺り、女帝尾上縫の生霊でも降りてるのか?そのお告げとは、自分の鉛直上の厄介者を手放すなに他ならない。その厄介者は直線的に頭に落ちる。こいつを犯したヴィンスのおつむの働きを疑わない500ドルバイヤーの資質もまた疑わしいが、ヴィンスの頼りは従兄で天才のアントンただひとり。この視野狭窄(アントンのブレークスルーが機材の性能限界いっぱいで叶う辺り、既にこの分野での天才の源泉は枯れているというべきだろう)がヴィンスにも投資家にも命取りとなる。そもそも通信の技術、工学の世界で直線のお告げと手近な天才の一言に縋る姿勢自体ベンチャーとしてまゆつばものだろうに、神ならぬものを信じてしまう者はしかたない。
 余計なはなしだが10、20にひとつしかものにならないベンチャー企業の遺したガラクタや未来の浪費をセーブするための大消費は一体どう整理されるのだろう?食べ物のロスでも廃棄物でも競争力不足な投資でも減らさないとSDGsじゃないのだろう今どき、今はまだものにならない夢をあらかじめ淘汰したら、どれだけ未知の課題の突破口を塞ぐことになるのだろう。無駄かどうかの判断を先延ばしする余裕も許容できない窮地にあるのだろうか?
 結果、会社を失いガン治療で衰えても向かう先、かつて悶着をかかえたアーミッシュ村で過ごす雨宿りの、悪性新生物と共に生きて識るミリ秒とはどんな時間であるか?一生が数千ミリ秒の雨垂れを幾つ数えれば実感できるであろうか。そして仕事で扱った1ミリ秒の壁の分厚く揺るぎない実感がなんの錯覚であったか、その錯覚の重圧の大きさを心中不思議と顧みるのか、脅威と思い返すのか、一生を掛けた取り組みの四つに組むに余りあった相手の大きさに賛辞でも贈るのか、うかがい知れないふたりの後ろ姿には嫌味の影こそ消え去っても、その姿さえ彼らを夢で釣って弄んだような、強欲への夢の世界、証券業界とそこに誘われる人間の強大さに対する忌避感の滲み出のように感じられる。
 それは他方、"KGB"バーバラにアントンが白状するHFTの説明「レモン会社のたとえ」にも感じる。最高速回線経由でレモン会社に投資しても投資家同士の大儲けの奪い合いばかり助長して農家には実質一文の儲けも無いことを天才アントンがバーバラに語っておいて、自身はその本末転倒振りを始めて指摘されるのだが、投資をしないバーバラに説くHFTのはなしの前提に過ぎないレモン農家がアントンにとって株式投資というよりも投機の対象に包め込まれてしまい生きて存在する人々との認識があったのか、投資とは本来何なのかすら考えの埒外であったようだ。
 天才の馬鹿げたひとときが、憔悴した相棒を慰める次なる将来構想、ニュートリノ通信で世界を牛耳ったらウォール街に火をつけてレモン農家と騒ぐ「プラン」に進展するけれど、だから見ていろというわけだが、こいつの「火をつける」だけが具体的で生々しい。すなわち、宿敵サルマの無線事業へのランサムウェア攻撃であって、身代金がわりにアントンとヴィンスへの告発(もとよりサルマの政治力行使も裁判の出来レース見通しも、国の安全保障を盾にとればどんなゴリでも押し通せるのなら共産党国と何がちがうだろう)を取り下げさせる腕前は本作会心の見せ場なんだがちょっと待て。
 それは緊急非常時の奥の手なのか?これからのアントンの生きる道としての「ブラックハッカー」化を示唆する事なのか、それとも「レモン農家」に正しく益が行き渡る、強欲ばかりでない投資事業を考える「ビジョンハッカー」として生きる切っ掛け?のアーミッシュ村の納屋での雨だれ数えに向かう切り替えに過ぎないのだろうか?いとこ同士慰め合うのにアントン、どちらの決心が相応しいだろう。
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