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劇場版メイドインアビス 深き魂の黎明のsanbonのレビュー・感想・評価

3.8
進歩の裏にある"永遠の喪失"という犠牲。

今作の舞台となる、直径約1,000メートルにも及ぶ未開の縦穴「アビス」は、一説によれば深度は20,000メートルともされており、潜れば潜るほどに地上に戻る際の「上昇負荷」が身体を蝕み、現在確認されている最奥である第七層に至っては、到着すれば決して生きては地上に戻れない"確実な死"を迎える場所と言われている。

それでも「深界極点」を目指すのを禁じられていないのは、アビスには発見されれば国家をも揺るがす程の人知を超えた力を宿す「遺物」が眠っており、その収集と謎の解明が必要とされているからであった。

その為「探窟家」にはライセンスの代わりとして、階級に応じて色分けされた「笛」の所持が義務付けられ、その笛の色によって潜れる深層も決められている。

特に、一度潜れば帰れない事から「ラストダイブ」とも呼ばれる深界6層への挑戦は「白笛」の所持者だけが許されており、その数は僅か6名のみ。

しかし、いくらとてつもない力を持ったアイテムがその先にあろうが、誰も知らない謎が眠っていようが、生きて帰れなければ全く意味がないと思うのだが、それでも彼らは徐々にボロボロになっていく身体をも顧みず、自ら進んでその危険な穴の奥をなんの躊躇いもなく降りていく。

そんな救いなきダークファンタジーである今作の軸となるのが、最後の一線である第5層に拠点を構え、数々の実験によりアビス探窟の発展を支えてきた伝説の白笛「ボンドルド」との対峙である。

「黎明」の二つ名を持つボンドルドのこれまでの功績は、不可侵ルートの開拓や、深層でも活動できる拠点の確保、凶暴な原生生物「クオンガタリ」の駆除を行ったりと、停滞していた探窟技術を二つ飛ばしで推し進める程の偉業でどれも華々しいものばかり。

しかし、その裏で増え続ける犠牲は甚大で、人道的とは程遠い所業が幾度となく行われていた。

ボンドルドは、身寄りのない孤児を度々深界に誘っては、上昇負荷の起こす「アビスの呪い」の研究の為に"愛情を与えつつ"実験体として利用していたのだ。

その為か、海外では罪状不明の指名手配をされているらしい。

では、ボンドルドという人物は悪なのか。

答えは否、である。

この地球上を例にとってみても、もともとが危険を伴う場所や物で溢れていたものが、数々の犠牲を払い、中には非人道的な研究や実験が繰り返えされた結果、ある程度の安全性が担保されて今という暮らしが成り立っている事を忘れてはいけない。

ましてや、"パラダイムシフト"を起こすほどの急激な発展があったその裏には、ボンドルドのような非情な存在は不可欠だったに違いないだろう。

"豊かさ"や"安全"を手に入れたその陰には、必ず"過酷さ"と"危険"が数多の犠牲によって"克服"されてきた歴史が隠れているからだ。

その恩恵を知らずのうちにでも享受して、悠々と生活を送る我々に、ボンドルドのような必要悪を否定する権利はない。

そして、なによりアビスには地上の暮らしを劇的に進歩させるだけの可能性を秘めている。

だからこそ、本来なら極悪非道であるはずのボンドルドは伝説の白笛として英雄視される。

つまりは、必要だから黙認されている側面というのは少なからずある筈だ。

しかし、決してただ理不尽に野放しにされている訳ではないところが、この作品のなんとも上手いところであり、考えれば考える程その行動原理に納得出来るよう緻密に練られているのがまた面白い。

例えば、深界に連れられた子供達も、決して攫われたわけではなく意思を確認したうえでの有志である事がしっかりと描かれる。

しかもそれは、アビスというところがどんな場所なのかを理解させたうえでの有志、つまりは死ぬ覚悟がある子供達を連れて行っているという事だ。

そして、白笛達の決して帰れない旅路を後押ししているものは、不安や恐怖すらも掻き消す、純粋なまでの未知への飽くなき好奇心だけである。

その為に、ボンドルド自らも"一人の人間として"取り返しのつかない犠牲を、既にいくつも払っている事が劇中では明かされる。

中には、アビスの呪いを肩代わりさせる為に、生命を維持する必要最低限の臓器だけを残して箱詰めにした「カートリッジ」にさせられた子供の存在もいるが、その話を踏まえればボンドルドが"魂が失われていない"事を重要視している事は明白であるし、この冒険がハイリスクである事は周知の通りなのだから、アビスに立ち入った時点で"死ぬ以外"の犠牲はむしろ当然であり、やむなしとしか言いようがないのだ。

そして、呪いの肩代わりには相互に想いあっていなければいけないという条件がある為、ボンドルドは犠牲になった子供達全員を愛していたし、まるで物のようにされてしまった後も、共に冒険を続けている気持ちに偽りはなかった。

その証拠に、ボンドルドはカートリッジにした子供達一人一人の人格と名前を全て覚えているし、カートリッジが限界を迎えてしまった際に「素晴らしい冒険でしたね」と弔いの念を唱えるのは、決して皮肉からくるものではなく心の底から出た本心なのだから。

何故なら、子供の身で深界5層に降り立った時点で、彼らの死は既に遅かれ早かれ確定してしまっている。

その上で、少しでも生きながらえたまま冒険を続ける為に、その方法を模索し続ける行為が実験であり、その実験に参加した子供達は自らの意思でやってきたのだから、志を同じくした愛すべき"同志"という解釈なのだ。

つまり、ボンドルドという人物は、既に本当の意味で人間をやめているという事もあり、他人の意思を顧みるという感情が欠如してしまっている点においては非常に問題ではあるが、突き詰めれば考え方が究極に利己的で合理主義者なだけなのである。

しかし、もとよりアビスとは失い続ける事でしか進む事が出来ない不条理極まりない世界なのだから、辛く厳しい旅路は覚悟のうえの筈。

生き抜く為にどんな非情な目に遭わされたとしても、その場に自分の意思で立った時点で責任を負えるのは自分自身でしかなくなるのだ。

それが嫌なら「リコ」達のように、力を以って抗うべきだった。

力なきものは、覚悟もなく着いていくべきではなかった。

人智すら未だに介入不可能な自然の脅威の前では、人が定めた道理などもはや無用。

必要なのは生き抜く為の力のみなのである。

そして、富や名声ではなく単なる好奇心だけを求めて行なわれてきた"ワクワクする自殺"は、この後ついにラストダイブへと続いていく。

TVシリーズも第二期が決定しているので、まだ見ていない方は乗るなら今だろう。
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