さよなら僕のマクガフィンたち

ペトルーニャに祝福をのさよなら僕のマクガフィンたちのネタバレレビュー・内容・結末

ペトルーニャに祝福を(2019年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

いらない。私は幸福になるから。

ペトルーニャ自身の問題もゼロではない気がしますが、
何者でもない、
言うなれば、「女性であること」や「容姿」、「大学の専攻」などをを理由に、
社会から存在を否定すらされているペトルーニャが、
おそらくこれから幸せを掴んでいくであろうと予感させるさせるラストに、勇気をもらいました。

北マケドニアで開催される儀式。男性しか受け取ることのできない「幸せの十字架」の争奪戦に勝ってしまうペトルーニャ。
「女性には権利がない」と、性別を理由に「幸せの権利」を剥奪されそうになりますが、そこで声を上げ、理不尽な伝統や社会と戦う姿勢は、「MeToo」以降の女性像を象徴していると感じました。

この出来事をフェミニズム問題のニュースとして報道する女性記者や、ミソジニストの側面もあるキレまくっている儀式参加者たちなど、周囲はフェミニズム問題として騒いでいるが、ペトルーニャはあくまで自分自身の問題として、「規則」と戦っている姿に、共感を覚えました。だって自分が十字架を取った。返す理由がわからない。それだけですもんね。

映画の舞台は北マケドニアですが、女性差別を伝統的なルールにしてしまっている事例は、ここ日本においても心当たりがあります。むしろ日本の方が酷いのでは?と思ってしまいます。
一番最初に思い出したのは、土俵における女人禁制の話。およそ3年前、くも膜下出血のため土俵上に倒れた来賓を助けようとした女性看護師に、土俵から降りるよう求める場内放送が流れたというニュースは、今でも思い出す度になかなかだなぁと思っちゃいますね。

伝統的に社会に溶け込んだ差別は、残念ながらなかなか気づきにくいし、正しにくい。
正しさとは何かって話もあるし、全部正しくするのかっていうとそれも違う気がします。
でも何かしら気づいたら、少しでも声を挙げてみようと、私にとって少し勇気を得た映画になりました。

ぶっちゃけ言うと、ちょっと眠くなった。