群青

ミッドサマーの群青のレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
3.9
2020年劇場観賞6作目。


ヘレディタリーで映画界に衝撃を与えたアリ・アスター監督。

彼の恐怖は特徴的でなんだか笑えてしまうところ。
起きている事態はやばいのに、笑うしかないような感覚。ブラックコメディとも少し違う。
観客は当然自分の身に降りかかることはないのだから、映画内で起きることはすべて俯瞰的に見れる。自分には起きるはずがないこそ、他人事だからこそ笑えるところだと思う。

だって今作の設定ははっきり言ってファンタジーだ。
旅行で訪れた外界と断絶された村で狂気の慣わしが繰り広げられていてそれに巻き込まれる、なんて誰もなかなか経験できない。
こんなの笑うしかないよ
そもそもポスターの全米が泣いたみたいなキャッチが使われてそう顔だけど、不穏しか感じない。

そして何より冒頭も冒頭。ド頭で流れる讃美歌のようなBGMに一枚のタペストリーを見せられるけどそれがもう笑えてくる。これから恐ろしいことが起きますからね、という宣言!

そこから147分、あれよあれよと主人公たちはどうにもならない事態に陥っていく。


個人的に1番恐怖を感じたのがラスト近く。

揃ったピースを一つの場所に集めるシーンで、それまでそこに宿っていたはずの『もの』が消え、物理的な『物』でしかなくなったところ。
物は物で大切に扱わないといけない物なんだけど、本来はその大切さとは別の意味で大切に扱われている『もの』だったのに、『もの』が『物』になったその構図が恐ろしい

うーん、表現が難しい。観た人なら分かるはず!物物書きすぎてものという感じがゲシュタルト崩壊していく笑

要は命を粗末に扱うな!の真反対を真正面からまざまざと見せつけられる感じ。うーん、分かるかな?

あのシーンはタマヒュンというかお腹の奥のあたりがキュッとした。自分だってああなったらあんなふうに扱われる。想像しただけでキュッとなる。


一方で今作は真面目に観たらダメだとも思った。先ほどにも書いたがこれはファンタジーだ。
何故なら物語の筋としては全く合っていないから。

まずキャラクターたちは、脚本上とても都合よく動く。

やっちゃいけないことを順序よくやってしまうし、都合よく仲違いする。
友達が1人2人と消えても不安には思うけどそこで終わってしまう。

舞台となるホルガ村は恐ろしい風習はあるけど行こうと思えば誰でも行ける村。そもそも主人公の取り巻きの中にはホルガ村の出身の人さえいる。
それなら警察に通報だってできるでしょう。一応バックパック背負って郊外から距離はある風には描写されてるけどそれだけじゃ説得力が足りない。

それに作品内でここからがやばくなるところですよ、というきっかけになるアッテストゥパンという風習を見せるシーン。
これを文化というのはあまりにもおかしい。
主人公たちは研究論文も兼ねているので文化の違いと考え、やべえよと思いながらその文化を受け入れようとする。
いやいや、曲がりなりにも一般社会に生きてきた人が、いくらこれは風習です、と言われても絶対に納得できない。

しかもその文化を見せつけられ帰ろうとする人に対し村人は、大丈夫です、みんなこれを見て動揺するけど、これはおかしくないんですよ?と諭して引き止めようとする。
諭すってことは自分たちが一般常識からかけ離れていることを分かっているはず。

もちろん、これには後になって分かるピースを揃えるためには彼らが必要なので帰らせるとまずいからってのは分かる。
しかし、常識外というのを分かっていながらあの風習がずっと続くのはあり得ないと思う。

つまりあの村人たちは一般的な常識とホルガ村の風習がどっちも受け入れられている。
一般的な常識が身についていれば到底受け入れられない風習なのに。

ここが1番違和感があったので、筋が通らない!と思いやすい人は納得できないまま映画が終わってしまうかもしれない。
個人的には引っかかったけどそれじゃあ続きを見れないので目を瞑ることにした、いや気になるけど笑


俳優陣は目を瞑らないどころかニンマリサムズアップなベストチョイス具合。
特にホルガ村人の地雷を踏みまくる友人役のウィル・ポールターと主人公である彼女の地雷を踏みまくる彼氏役のジャック・レイナー。

ウィル・ポールターは元々ナルニアで初めて見たけどその役どころもわがままなキャラだった気がする。
今作の彼はわがままを通り越して自己中の塊。ホルガ村への旅行もセックスとドラッグのことしか頭になくてクズさが清々しい。素晴らしい(褒め言葉)

ジャック・レイナーの彼氏役も本当に良かった。
彼にとって不幸な目にあった彼女は、大切にしたいけどずっと暗いままだとこっちまでしんどくなるから勘弁してよ、っていう感じ。彼氏としてはダメなんだけど共感もできる。
不幸な目にあった人に同情こそできるけどいつまでもメソメソすんじゃねえ、っていう感情って結構な人に思い当たるんじゃないか。
彼なりに心配してるけどやることなすこと裏目に出るのが可哀想でならない笑
俺は彼だけを責める気にはなれない笑


あれこれ書いたけど最終的にはこの作品には癒された、というかカウンセリングされたかのような不思議な感覚だった。

ここまで書いたのに癒しってなんだよって、群青キモって突っ込まれるかもしれないけど、ちゃんと訳があって。


優れた芸術家というのは自身の経験を作品(映画)にすることによってその感情を芸術に昇華させる。
監督前作のヘレディタリーなら、監督の家族に不幸な出来事があったから作ったそう。
作品内の主人公である母も自分に起きた辛い出来事を仕事であるドールハウスで再現することによって、その時の感情や体験にケジメをつけていた。

今作を作る発端も監督の失恋からきている。

主人公は冒頭不幸が訪れる。
その不幸について誰も共感してくれない。彼氏でさえ。
しかしホルガ村の村人は自分が悲しめば一緒に悲しみ、笑ったら一緒に笑ってくれる。痛みや感情を共有してくれる。
そして寄り添ってくれなかった彼氏やその友達はどんどん沼にハマっていく。なんならざまあみろ的な感覚でさえある。


見終わった後に妙な爽快感があるのは、そういう感覚が起因するからだろう。

え?そんな爽快感ない?あれれー?おれだけ?笑

俺なんかばっちりラストの曲をダウンロードしましたよ!爽快感しかない!

あと、ついでに冒頭のタイトル出るところも買った。
しかもこの曲の始まり、主人公のNo…No…ってセリフからから始まる。
タイトルもGassedってもうやばい。
最初っから人を不安にさせることに全開だな監督!って感じで最高!でした笑


笑えるんですよ!
この作品!
笑ってあげましょう!

なんで笑えるかってその証拠はラストの主人公の顔が全てを物語ってますから!

笑ってあげましょう!

ほら!

笑いましょう!

ね!


ね!!!!???



なんで笑わないの?


なんで?


一緒に笑おうよ



ね?



だって




ここはホルガ村だよ?
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