Oto

82年生まれ、キム・ジヨンのOtoのレビュー・感想・評価

82年生まれ、キム・ジヨン(2019年製作の映画)
4.3
観終わって行動が変わる映画ってたくさんあって、サバンナの高橋さんは『ゼログラビティ』を観てから宇宙ロケNGにしたって言ってたし、友達は『湯を沸かすほどの熱い愛』を観てから健康診断に通うようになったけど、今作は「子育ての難しさを知る映画」だと思う。そう聞くと敷居が高くて重たい映画に思われてしまうけど、どうしても自分を重ねて観てしまったし、観ることで少しだけ優しくなれた映画だった気がする。

あらゆるシーンが無意識の偏見(特にジェンダーバイアス)に対して意識的に作られていて、観ている側の当たり前がこれでもかというくらいに崩されていく。優しい夫でさえも育児のことを「休み」だと思っていたり、姑も同僚も育休を取ることがキャリアの邪魔だと考えていたり、どれもリアルで他人事には思えない。銀行でもらったエプロンをプレゼントすることが嫁を苦しめるなんて姑は微塵も想像していないし、兄弟も万年筆をもらうということの意味をジヨンほど理解できていない。
子供を持つと言うのは大事なものが増えるということで、その分しがらみが増えるということだけど、最近仕事を始めるようになって早速、家族や趣味との両立の難しさを感じているから、子育てって本当にすごいことだなぁ...自分には絶対無理だろうなぁ...と思ってしまった。奇しくもACCヤンググランプリのオムツと同じテーマ。

きっとみんな大人になるにつれて何かを諦めていて、それだけに数学の教科書を息抜きに解いている主婦とかすごくいいなぁと思ったし、広告代理店が舞台であるのも良かった。『左利きのエレン』で、広告マンは小説家になれなかったコピーライターや映画監督になれなかったCMプランナーの集まりだというようなセリフがあったけど、そんなサラリーマンでさえも仕事を優先することでいろんなことを犠牲にしていて、その象徴がチーム長だった。打ち合わせでも再会後も知的なユーモアにあふれたすごくかっこいい存在なんだけれど、ジヨンには自分のようになって欲しくないという想いが強く伝わる。仕事ばかりしていると娘が好きなものがクリームパンなのかアンパンなのかもわからない父になったりするんだろうなぁ、その成れの果てが自分の偏見にすら全く気付いていない理事なんだろうなぁとしみじみ思った。

解離性障害(多重人格)ってフィクションではモチーフにされやすいけど身近な病気ではないし、闘病をメインのミッションにしてしまうとかなり共感しづらい物語になってしまうと思うけど、この物語の問題は「病気を親に伝えていないこと」であるので、家族を持つ多くの人が自分を重ねられる作りになっている。
その分、いつ発症するんだろうというサスペンス映画としてハラハラしながらみていたけど、最悪のタイミングで出てしまうのが残酷...。辛さと温かさで味わったことのないような感情になったけど、『スプリット』のように知らない人格が憑依するのではなくて、身近な人間が憑依するのがコンプレクスをより明確に感じさせる。
お母さんは、娘の病気のことか、自分の辛かった過去か、どちらで泣いているのだろうという気持ちになって、悲しみが受け継がれていくどうしようもなさで胸を刺される。

でもこの映画には問題の解消があって(解説を聞いた感じだと原作にはなかったみたいだけど)、知らない人からの陰口への対応とか、一人で作業しているバックショットとか、同じ場面を2回描くことで彼女の成長が可視化されていてとても良かった。
夫の視点が立体的になっているという変更点もあるから単純に男がみても当事者として没入できるんだけど、ジヨンの抱える問題は(上で書いた大人になることで諦めてしまうもののように)女性だけの問題ではないものもあって、自分はそもそも夫婦両方の視点で見ていたような気がする。
現実はそんなに甘くないよというのももっともな意見だと思うけれど、世の中の理不尽に対して怒ることは歪んだ世界をより良く変えていくための取っ掛かりなんだと思う。ナイキのCMも話題になっていたけど、ルサンチマンってクリエイティブだし、自分自身が存在することを発信して肯定してあげるには戦うことも必要なんだろう。

技術的なことで言うと、編集がとても良かった。笑い声のぶつ切りからのカットの移動とかハッとしたし、時系列が飛ぶ時にも適度な?が浮かぶので飽きさせない(これがTENETとの大きな違い)。撮影も面白くて、ベッドの中からのアングル、嫁が酒を飲んでることに気づく時の寄り、『パラサイト』のような半面ショットとか、韓国映画のレベルの高さが断片だけ見ても伝わる作品。最後の曲も素敵だったけど歌詞が合っていないような気がして引っ掛かった。

でも大事な人とみるべき映画だし、観終わってから話すことに大きな意味がある映画だし、多くの人に観てもらいたい映画。今年ベスト級。
Oto

Oto