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TENET テネットの会社員のレビュー・感想・評価

TENET テネット(2020年製作の映画)
4.0
魅力的かつ難解なギミック、軽快なテンポ、見応えあるアクション。素晴らしい映像体験により、我々は二度三度と観賞したくなる衝動にかきたてられてしまう。



時間を逆行するという斬新なアイディアを中心におきながらも、目指すべきは悪役の企てを阻止するという王道のストーリー展開。またスパイ映画ならではのミッションにつぐミッションは間髪入れず進行し、どんどんと引き込まれていく。物語を成り立たせる時間の論理展開はこの映画のテーマでもあり、特にアクションシーンにおいて効果を発揮する。

時間の順行と逆行が入り交じりながら進む展開について、私自身も例に漏れず一度見ただけでは到底理解出来なかった。ただその辺りはすでに国内外多くの方々が見事な考察をされているので、ここでは別の立ち位置から見てみたい。



すなわち、主人公に名前をつけず、人物描写を極限まで削った点についてである。

当然、二時間半もの時間があっという間に過ぎてしまう程の情報量から、主人公の背景までは詰め込みきれなかったことが考えられる。しかしそれだけに止まらない。世の中を救うという漠然とした動機を行動原理とすることに説得力を持たせるためかもしれない。あるいは人を撃つ際の感情についてのやり取りから分かるように、ヒロインと主人公を対比させる必要があったのかもしれない。
いずれにせよ人間味の無さ故に、観客である我々はまるでゲームを楽しむかのごとく、馴染みのない全く新しいルールの存在する世界に没入することが出来るのである。

もちろん、仲間との別れに対し涙する場面や終盤の作戦後の会話の場面から分かるように、必ずしも無感情というわけではない。またラストの黒幕とのやり取りでは声を荒らげて抗議した。しかしやはりそれは映画として成り立たせるための要素の一つに過ぎない。
特に、黒幕である夫に抑圧された女性を自由にしたいという思いが強い動機となり、人間らしい選択肢をとるようになっていく。主人公の動機の一つをヒロインの動機、つまり抑圧からの解放というものに投影させることで、本筋と平行する重層的なストーリー展開の役割を持たせているのである。ここまで新しいルールに振り回され着いて行くことで必死だった我々は、ようやく感情的にもその世界に入り込むことが可能となる。

結論を言えば、論理的な戦いを名も無き主人公に、感情的な戦いをヒロインに担わせることで、物語が我々の精神と同じ時間軸で展開することになるのである。中盤の鏡越しに対峙するシーンや、ラストのミッションが同時並行で進行することからも説明がつくのではないだろうか。また、最後まで主人公とヒロインとが必ずしも恋愛感情で結ばれるわけではないことも、それぞれ独立した対となるストーリー展開を意識させるためだったのかもしれない。



では、そのことによりもたらされるものは一体何なのだろうか。
思えば、ヒロインが抑圧に苦しむきっかけとなったのは、夫を騙し裏切ったことである。悪役の明瞭な悪役感から薄れてはいるものの、女性自身も罪を犯していると考えることは出来ないか。そうした罪を文字通り消し去ることは出来ず、それを背負った状態でそれでも前に歩みを進めることが示唆されている。
それは本作の終盤で明かされる現在を生きる我々の罪、そしてそれに対する主人公達の選択と重ね合わせることが出来る。その罪は、その時を生きる我々にとっては罪という意識はない。しかし後世にとっては重大な問題に繋がるのである。

作中贋作として転売されたゴヤの絵。代表作『我が子を食らうサトゥルヌス』にまつわる考察も魅力的だが、一歩引いて、そもそも芸術品の贋作が世に出回ることそれ自体が後世に与える影響は計り知れないだろう。たとえその時に罪の意識がなかったとしても、である。
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