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風の電話の海のレビュー・感想・評価

風の電話(2020年製作の映画)
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東日本大震災から10年が経ったということを、先週の木曜日にラジオで番組が入れ替わるたびに話していた。いろんな人がメッセージを送っていて、いろんな人がそれを読み上げた。九州の人もいたし、東北の人もいた。朝、宮城県の人から届いたメッセージが読み上げられた。「10年前はありがとうございました」「当時、ラジオの人が、大丈夫ですよ必ず助けが向かいますよと発信してくださったことがすごく支えになった」というような内容だった。それを聞きながら泣きそうになった。わたしがいつも聴いてるのは、地元のローカル放送だから、全部のラジオ局にこの方はこのメッセージを送っているのかもしれないと思った。15時から始まる、わたしの一番好きな番組は「この10年何があった?」がその日のテーマだった。読み上げられる、面白かったりおめでたかったり切なかったりするいろんなメッセージを聞きながら、自分はこの10年、何があっただろうかと考えた。中学は2年間不登校になった。高校は先生と弾き語りをした。社会人になって、Filmarksを始めて、はじめて好きなアイドルのライブにいって、はじめて本気でひとを好きになって、はじめてそのために大泣きしたり、じぶんを見失ったり、見つめ直したり、見つけたりした。その年の季節の始まりの風が、はじめてふいた日みたいに、ういういしくうつくしく、猫がうちにきた。いろいろあった。世界でもいろいろ起きた。東日本大震災。広島市と熊本広域の豪雨と土砂災害。誘拐や交通事故、サイバー犯罪、長く続く裁判。犬や猫の命が軽視される社会の風潮、引退馬の行き先、それに抗議し支援する人々。毎日銃声を聞く子ども、戦場に立たされる大人、殺人や自殺。毎日毎秒死と隣り合わせの地域、比較的平和な国。終わりの見えない怒りや悲しみ、後悔と、いつもそのことを考えてはいられなくて覚える罪悪感。小学生のとき、はじめて広島平和記念資料館に入って、写真や焼け焦げた服、再現された人形を見て、怖くて脚が震えたことを思い出す。建物を出るとき、訪れた人たちが寄せ書きをしてるノートがあって、英語も日本語もどこの国のものなのかわからない形の文字もあった、何か書こうと鉛筆を握ったのに何も書けなかった。ひとが、いのちが、死ぬということが、怖くてたまらなかった。それはいまも変わらない。でもあれから、みて、きいて、ふれて、想像し考えて思い続けてきたことは、たくさんある。スーパーのレジのとこの募金箱、デパートの千羽鶴の展示。ひとが生きた記録を残すことや、平和や、もう会えないひとに会いたいひとがおとずれることを目的としたくさんのひとが集まる建物や場所。とおくにはしる、車の一台一台でさえそうだ。あれは祈りだ、生きているひとたちの、いろんなものに対する祈りだ。想いだ。わたしは、いつでも、それを感じたい。だれかがあそこにいる。だれかがあれに乗ってる。ひとりか、ふたりか、もっとたくさんか、笑ってるか、泣いているか、ねむっているかな。一人一人が「あの日」と聞いて思い出す或る日々から、いろんな人に、いろんなことがあった。子どもは大人になって、まだ生きてるひとも、もう死んじゃったひともいて、引退したアイドルがいて、デビューしたバンドもいて、始まったサービスがあって、終わったドラマもあって、それからうまれてくるいのちもいた。何回も夜がきて、何回も朝がきた。毎日、立ち止まるたびにおもいだしたいのは、そんな当たり前かもしれないことだ。わたしが長いあいだかけて、たどり着いた此処が、ほかのひとにも同様にあるということだ。生きていることが、生きてきたことだよ。わたしも、あなたも、みんなが、だれかを想って生きている。

ハルが呉にもどったことを知ったら、きっとそばにいるひとを片っ端から抱きしめたくなるほど安心できるひとがたくさんいるんだろうな。広島の海がすきだ。猫が両腕でわたしの手をぎゅうっとする。なにか夢をみているのかな。最近すこし重くなった猫は、おとなになったのかもしれない。わたしが死ぬ1日前まで生きてほしい。頬も手もあったかい。すごくあったかい。
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