海

PROSPECT プロスペクトの海のレビュー・感想・評価

PROSPECT プロスペクト(2018年製作の映画)
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鳥が、とんでいる。白と茶色のまざった羽毛に、もうまともに見えはしない、粉塵の奥にあるはずの空から、ひかりが差し、おもわず息を呑む。美しいものを目で追うというのが、ひととしてあたりまえの感覚だというのは、いつか拾った本か、壁の落書きで目にした言葉だ。わたしは小鳥だと思うけれど、あれは鳥のなかだと、大きなほうらしい。あなたに以前、あの鳥の名前をおそわったけれど、それがどんな音だったか、どうしても思い出せない。むかしは、図鑑というものがあったらしい。鳥の図鑑。猫の図鑑。恐竜の図鑑。馬の図鑑。植物の図鑑。宇宙の図鑑。絵や写真と一緒に、見た目の特徴や身体の大きさや種の起源などのデータが記された、分厚い本だったという。本は木からできているし、人々がたくさんの字や絵を描いているから、手紙の次によく燃えるんだ、だから以前は、見つかり次第夜の目にされていたのだとあなたは言っていた。ただ、海へ出てみるといい、と。おまえにも読める本があるかもしれない。今日も、わたしは浅瀬をわたり、雨がふるときは、木の下をつたい、海岸へ出る。この星の浜には、色んなものが流れ着く。花が着けば、毒性の有無をキットで調べ、ぎゅっと小さくして鞄に詰める。死体が着けば、どれほどの距離を流れきたものか腐敗、膨張の具合で確認し、埋める。さっき拾った花をそえる。隕石の一部が着けば、あなたがいた頃は、その価値のはかりかたを教わっていた。いまはもうわからない。図鑑、それらしいものを、何冊かは見つけたけど、ページが抜けているものがおおいから、書かれている文字と、描かれている絵が、おなじものを指しているとはかぎらないけれど、わたしはそれを信じるしかなく、夜いつのまにか寝落ちるまでは文字と絵を追って過ごす。そんなわたしがつくる物語は、どんなに不可思議なものだろう?詩人の、端くれとして、ときどき不安になるけれど、今みたいになにも知らないわたしが、なにもかも知るわたしになったとき、それはもう、わたしじゃなくなる気がする。みたことのないものの、名前だけ知っていることはほんのすこし、悲しいような、落ち着かないような心地になる。ああ、今日は花が、妙にたくさん着いている。無意識に死体をさがすのは、花をそえるのを、どこか心のささえみたいに感じているのかもしれない。みることや、きくことは、知ることとは違うだろう。わたしはなにかを知れば知るほど、もうあなたとは話ができなくなる気がする。もしも、あなたが帰ってきたら、聞いてみたいことがある。明日、わたしたちが、わたしもあなたも、馬も猫も、鹿もくじらも、みんなが、火か、あるいは水にのまれ、消えてしまうとしたら、あなたは今日なにをするんだろう。いつかあなたは言った。いのちをかけて守りたいのは、おまえの心だけだと。わたしはわからなかった。いのちを続けていくことが、どうしてそこまで大切なのか。いつか、みんな死ぬことくらい、わたしでも知っていることなのにと思った。海辺を歩きつづけていると、あの明るい星が沈みはじめ、まっさおな、図鑑によれば「月」という名の星が、のぼりはじめ、みえていた花や小さい生物を、あおく染めはじめる。いま、この星の半分はあかい。もう半分はあおい。明日世界が消えるなら、わたしは、なにもかもを外したい。喉をつたい、肺まで降りている、息をするためのこの管を、四肢と胴体をつないでいる、うごきまわるためのこの糸を、いのちづなのように腰にまとわりつき、心をひきとめている、この、疲弊しきり悲鳴をあげる、かわいそうなからだを、外したい。昨日の朝、真夜中に、陽のさした幽霊の影をみた。おとついは真冬で、あじさいに、あかとんぼがとまっていた。くじらはそらをとんだ。浜辺に落ちた、骨のようにかたい花びらは、海を聴いていた。すべて嘘かもしれない、けれどいま、この星の上で、視力をもついきものはわたししか、いない。はやるいのち、とどまるいのち、けっして忘れるなと、あなたを書き遺すたびおもいだす、あなたの唇の端から、指の先から、したたり渇いた土の上に落ちる、切られた花の延命剤。月と陽がわたしをゆびさし、夕立が雪になり大地をそめあげる、いま、みんなが海を渡り、どこかへ向かっている。鳥がとんでいる。馬がはしっている。鹿が倒れた木をこえている。猫が砂のなかをはねている。わたしは、なぎさで見ている。「真夜中でもない、冬の花でもない、夏の雪でもない、まぼろしでもない、昨日でもない、明日でもない、ほんとうにみたかったものは、死ぬまえに見るべきだったものは」この惑星には、わたしと、あなたがいた証と、大勢の死者と、それを知るたましいと、よごれきった空(くう)と、地の90%以上を覆っている海がある。剥がれた皮膚と、草臥れた肉と、鹿の角と、くじらの髭、猫のまつ毛、あなたの骨、わたしの涙、かつていのちにぬくめられていた、あらゆるものが粉塵となり、この星に降り積もる。うろこのように流れゆく。この手のなかにあるすべてが、わたしに語らせる。うしなってきたもののすべてが、わたしのゆびを、くちびるを、のどを震わせる。たくさんの、たくさんの天使がとんでいく。わたしに影を落としてとんでいく。永遠なんかどこにもない。いつかすべて終わる、いつかわたしも死ぬだろうし、いつかわたしは、あなたをわすれるだろう。それでいい。終わる日がくるまでそばにいて。この惑星を見ているとされる、神さまを救えずあなたは、死にいたるほどの深い傷を負い、消えるまぎわに言った。「心はいのちの尊さのすべてだ。」この星からはもうすぐ、大地は消えてなくなる。このからだをあげるわ。わたしのこのからだをあなたにあげる。生きたい、けれど悲しい。生きたい、けれど、切ない。いっしょに行こう。泳げないのなら、とんでゆこう。いのちを、続けてく。わたしが終わるその日まで、あなたはわたしと生きる。
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