シネマスナイパーF

地獄の黙示録 ファイナル・カットのシネマスナイパーFのレビュー・感想・評価

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監督自身が作品を作る過程で作品により作品に対する価値観が揺らいでしまった作品
手を加えまくったとはいえ、結局誰よりも戦いたかった男ジョン・ミリアスの強固な精神が最後まで脚本を支配していた


「闇の奥」やそれに影響された作品のほとんどが、もとより人間に存在する野蛮で醜い部分を文明人である西洋人がさらけ出し、その凶暴さで森の奥のカリスマとして君臨している、という話
よって語り部である主人公は普段の文明的な暮らしですら信用できなくなってしまう…

僕はこの地獄の黙示録のウィラードとカーツ大佐に関しては微妙に違うと思うんですよ
ウィラードが「彼の話は自分の話」と語るように、ウィラードが闇の奥へと向かう旅路がまさにカーツの追体験にもなっていて、現に最後はカーツ同様の扱いを受けることになる
彼らは下に見ている者たちに対して暴れるうちに野蛮さを露呈したのではなく、行く先々で目の当たりにする理不尽な破壊を見て何かが変わっていってしまった人間なんだと思う
そしてカーツが辿り着いた答えが、自らを文明から切り離すことだったと
彼は不当な身内よりもベトナム人の純粋な戦闘精神にこそ惹かれてしまった

朝のナパームが格別なキルゴアによるワルキューレの騎行をバックにした破壊シーンの凄まじさは歴史的ですが、彼を野蛮と切り捨てるのも違うんだよな
ヤツも戦争に何かを変えられてしまったのではないだろうか
ベトナム戦争という史上最悪に無意味な戦争の罪深さを知り、我々もただHorror...と呟くほかない

血生臭さが割と希薄なのにこんなにも鬼気迫る圧力があるのは画の力のおかげでしょうね
キルゴアの爆撃はもちろんですが、役者の顔力も強いよ
マーロン・ブランドが太りすぎてたあまりに後半ああいった神話的な雰囲気にせざるを得なかったらしいんですが結果的にこの歪さこそが地獄の黙示録の魅力となっていますからよかったんじゃないでしょうかね
ハリソン・フォードや若かりし頃の細いローレンス・フィッシュバーン、デニス・ホッパーなど堂々たるメンツ


過酷で多難を極めた撮影と、ミリアスによる「現地人の真に誇れる戦いの精神の礼賛」によってコッポラ自身何かが変わっていってしまった結果生まれた〈なにか〉
それが地獄の黙示録
恐ろしい