カツマ

失くした体のカツマのレビュー・感想・評価

失くした体(2019年製作の映画)
3.9
失われた夢の残骸。それはスタスタと当てのない旅をしながら、いつしか虹のような景色へと変わる。 変えられない過去、なりたかった自分。それらは全て凍りついた肢体となった。でも、だからこそ、その狭間を、変わるかもしれない未来を、ただ飛び越えるために彷徨う魂。失われたのは身体?いや、彼の中に埋没していたかつての記憶そのものだった。

今作はアカデミー賞長編アニメーション賞にノミネートされたフランス産のアニメ映画だ。配給はNetflix。ネトフリとオリジナルアニメの相性は良いようで、決して商業的ではないアニメーションを世に解き放つことが出来たのもその大きな意義の一つだろう。フランス産らしく、どこか暗澹とした鈍い重さを有している。だが、そこにはブレることのない真摯なメッセージが込められていた。メランコリックな映像のどこかに光り輝く何かを求めて、その手は失われた身体を求めて旅をする。

〜あらすじ〜

冷蔵庫に保管されていた手がひとりでに歩き出す。それはその部屋を抜け出して、主である身体を目指して進み出した。
その手の主は幼い頃、ピアニストまたは宇宙飛行士になる夢を持っていた青年ナオフェル。だが、成長した彼は落ちぶれてピザ屋の配達すらまともに出来ない始末だった。その日も配達中に事故に遭い、ピザの配達時間もオーバー。ビルのインターフォン越しにお客から叱責されてしまう。しかも、事故のせいでピザはグチャグチャ。失意のナオフェルはインターフォン越しでお客と会話しながら、その潰れたピザを食べた。
そのインターフォンの相手は図書館で勤める女性ガブリエル。声だけの彼女に恋をした彼は、図書館に行ってみるも彼女とはすれ違いになってしまい・・。

〜見どころと感想〜

どこかシュールで退廃的な雰囲気漂うアニメ映画である。ひどくフランス的で、ディズニー映画のような明瞭さは皆無。いつも曇っているようで、晴れ間を探し続けるような物語となっている。手が主である身体を探す旅と、主であるナオフェルがどんな青年だったのか、を同時進行で描き出し、やがては交錯するという二重構造の物語はアニメとしてはかなり異色であったと思う。淡々としていて凹凸は少ないが、80分ほどと短いため、そのミニマルな構成が光っていた。

本作は映画賞でも非常に高い評価を得ており、カンヌでの国際批評家週間も受賞。アカデミー賞ノミネートは、今作のドラマ性とメッセージがしっかりと受け止められた結果だろう。アニメとしてはややカクカクとしていて拙い部分もあるが、それが味があって趣深い。さり気ない手の動きや動物の描写など、絵画をそのままアニメに転用したかのようなアート性はヨーロッパ映画をそのままアニメにしたようなイメージだった。

鬱屈とした日常。特に良いことはない、だけど、そこから這い上がろうとする強い希望を得られる作品だった。ラストの解釈はどこへ向かうのか。ずっと悶々とした霧が立ち込めていた景色は一人の青年をどこへ連れて行ったのか。それらは80分間ののちにふと訪れる結末。決して明るいアニメではないが、夢も希望もない作品ではなかったはずだった。

〜あとがき〜

『天気の子』など日本産アニメを蹴落としてのアカデミー賞ノミネートは快挙でしたね!観れば納得で、やはりアニメを通して骨格にあるのは示したいメッセージの強固さ。少年少女が夢を追うストーリーとは違うけれど、鑑賞後の余韻は溜め込んでいた闇が晴れたかのような爽やかさを感じました。
決して王道のアニメ映画ではありませんが、時間も短いので、ぜひアカデミー賞授賞式前にネトフリで目撃してほしい作品でしたね。
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