さりさり

わたしの叔父さんのさりさりのレビュー・感想・評価

わたしの叔父さん(2019年製作の映画)
3.6
観終わってから気づいた。
そういえば音楽が極端に少なかったことに。
中盤でほんのひととき流れるだけ。
エンドローでさえ無音だった。

聴こえるのは様々な日常生活の音。
動物たちの声。
風の音。
登場人物たちの、ほんの少しの会話。

静かな映画だった。
淡々と日々が流れて行くだけ。
それを退屈と思うか、癒やしと思うか、当たり前の日常と思うか、それは観る人の感覚。

体が不自由な叔父の介助と酪農という仕事に束縛され続けてきたクリス。
でもそれは本当に束縛だったのかな。
クリスにとっても叔父の面倒をみることが生き甲斐であり、使命だったんだと思う。
依存していたのは、もしかしてクリスの方だったのかな、とも思った。

ボーイフレンドのマイクが気の毒だったな。
ただクリスに会いたくて来ただけなのに、あの仕打ち。
頑ななクリスの心を和らげてくれる恋人が、早く出来るといいな。

*****

私事ですが、先月叔父が亡くなりました。
ゆっくり会うのはお盆の時だけでしたが、とても明るくいつも元気で、会えば必ず楽しい話をして笑わせてくれました。
ただ、昔不倫をして、奥さんとは離婚、三人いた子供たちからは縁を切られ音信不通、晩年はとても寂しかったのではないかと思います。
不倫してしまったのは奥さんの方にも原因があり、私は叔父さんだけが悪いとはどうしても思えませんでした。

私は時々、家の近くのコインランドリーで乾燥機だけを利用することがあるのですが、そんな時、叔父さんとバッタリ行き会うことが今まで何度かありました。
叔父さんも同じように乾燥機愛用者だったのです。
そんな所で鉢合わせするのは少し照れ臭く、でもそんな時でも叔父さんはいつも笑顔で、短い時間でしたが、軽くお互いの近況を話し合って「じゃあ、またね」と手を振ってお別れしていました。

亡くなったのが、あまりにも突然だったので実感がなく、棺に納められた叔父さんの顔を見ても、ただそこで眠っているようにしか見えず、涙は出ませんでした。
驚くばかりで、亡くなったことが信じられなかったのです。

叔父さんが亡くなってからひと月ほどたったある日、久々にコインランドリーに行きました。
その時、本当に何気なく「また叔父さんいるかな」という思いが頭をよぎりました。
そう思った後「あ、そっか、叔父さんはもういないんだった」と気づきました。
ハッとした瞬間、不意に涙が溢れました。

そうなんだ、叔父さんはもういないんだ…。
会いたくても、もう会えないんだ…。

改めてそう感じた時、私は初めて泣きました。
止めどなく涙が溢れました。
やっと叔父さんの死を実感し、悲しみで胸がいっぱいになりました。

これからもコインランドリーに行くたびに、叔父さんのことを思い出すでしょう。
笑顔で「またな」と手を振る叔父さん。
優しくてちょっと寂し気なその姿を、私はずっと忘れたくない。
そう思っています。
さりさり

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