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劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のsanbonのレビュー・感想・評価

4.1
「ジャンプ」が、原作のストーリーをそのまま映画化出来るようになった理由。

今作は、これまでの総発行部数がまさかの1億部を超え、年末発売予定の23巻で遂に最終巻を迎える「鬼滅の刃」の劇場版であり、TVシリーズからの流れを汲んで今回語られるのは、原作第7〜8巻に位置付けられた「無限列車編」の一部始終となっており、この章から本格的に「柱」と「上弦の鬼」とが物語に深く関わってくる事となる、序盤の重要なエピソードを完全映画化した形となっている。

ちなみに「週刊少年ジャンプ」の長い歴史において、人気エピソードの焼き直しなどは除外して、TVシリーズの続編という形で原作のストーリーがそのまま劇場用アニメとして制作されるのは、実は今作が初の試みである。

何故なら、従来のジャンプ作品といえば映像化される程大ヒットした作品はそもそもが超長期連載になる事が多く、1エピソードとっても数年単位で展開されるのが定番で、それに伴いアニメ化される際もご長寿番組として何年にも渡り放映されるケースがベターとなっている為、映画の尺ではもちろん収まらず、これまでの映画化作品といえば、劇場用に書き下ろされた完全オリジナルストーリーの"短編"を展開させるのが主流であったからに他ならない。

では、鬼滅の刃は如何にして原作ストーリーを映画で作る事が出来たのか。

それが実現可能となった背景には、出版元である「集英社」の"方針転換"が大きく作用している。

が、その前に余談ではあるが1億部を突破した漫画というと「DRAGON BALL」をはじめ「ONE PIECE」などが代表として挙げられるが、それ以外だと「NARUTO」が約2億5千万部「BLEACH」が約1億2千万部でどちらも70巻以上、年月に換算すると10年以上の連載を経て樹立した記録となっている。

圧倒的知名度を誇る"あの"世界的人気作ですら、ここまでの膨大な巻数と長大な時間がかかっているのだ。

そう考えると、鬼滅の刃はわずか4年の連載期間にして既刊22巻の時点で既に億の大台を突破しているというのは、漫画史においても"超異例"で"前代未聞"の事態であるのは言うまでもない。

そして、これが前述した方針転換の恩恵でもある。

そう、鬼滅の刃を筆頭に現在ジャンプ作品に顕著に見られる傾向として、"ハイテンポなストーリー展開"をしている作品がかなり目立つようになってきた。

その証拠に、現在連載中の作品で既刊が30巻を超えている作品は、ONE PIECEと長らく休載中の「HUNTER×HUNTER」のみであり、近年完結した作品をみても「ハイキュー!!」以外は、人気作であっても軒並み30巻未満での完結を迎えているのだ。

これは、ジャンプ編集部が暗に無理な"延命措置"を廃した結果と言えるのだが、実はそれどころの話ではない。

今のジャンプは、延命をするどころか"短命でも爆発的に輝ける作品"を目指し、それを出来るだけ多く生み出せるよう"舵を切り直し"ている。

その代表格がまさに鬼滅の刃なのだが、その他にも「呪術廻戦」なんかは現時点の展開であれば、本来20巻を優に超えていてもおかしくないところ未だ13巻だし「アンデッドアンラック」に至っては3巻の時点で10巻分くらいの内容が凝縮されているように感じられるほど濃密である。

その弊害として、登場人物が入れ替わり立ち替わり現れては消えていくのを繰り返す為、誰が誰かよく分からなくなったりしがちだが、その代わり物語は目まぐるしく加速度を上げて動くようになるので、飽きさせる暇を与えない濃い作品が量産されつつあり、編集部も着々とそのノウハウを確立していっているのをヒシヒシと感じるのだ。

そして、内容が"濃縮"された漫画原作というのは、アニメ化すると一気に"化ける"可能性を秘めている事を、鬼滅の刃は今作をもって世に示す事となる。

その理由は、掘り下げるに値する"余白"が作品の至るところに多分に存在しているからである。

もっと厳密に言うと、余白とは"タメ"であり"引き"であり、連続した動画だからこそ可能な"細密"な描写の事であるが、原作ではハイテンポだからこそそういった部分の物足りなさや、作画技術の粗で上手く表現出来ていなかった部分を、特に今作は"アニメだからこそ出来る事"として、しっかりと実感が持てるクオリティを体現出来ている。

最近食べ物でも、いわゆる"濃縮還元"ものをよく見かけるようになったが、例えるなら原作漫画はまさにそれであり、"希釈して丁度良く"なった状態のものがアニメ作品として置き換える事が出来るだろう。

では、それを踏まえて話を戻すが、これまでTVアニメを含め今作で語られたのは原作全23巻の内のたった8巻までの出来事である。

その中でも無限列車編は2巻分と、単行本的には実はかなり短くまとまっている。

という事は、原作漫画はアニメに比べ総体的には濃縮された濃い味に感じても、一つ一つのエピソードを紐解くとやや駆け足気味で意外とあっさりとしている事に気付く。

どのくらいあっさりかというと、今となっては重要人物だったと分かる「炎柱:煉獄杏寿郎」も、柱の実力や上弦の鬼との実力差がまだ未知数だった連載当時は、なんか仰々しく登場した割には呆気なく退場したなぁとしか感じなかったくらいにはとてもあっさりしていた印象だ。

これは、物語の内容ではなく明らかに掘り下げに費やした話数の問題によるものである。

それこそ、これまでのジャンプであれば、結末がああなる予定ならば、無限列車編を始める前に煉獄を絡めた煉獄を活躍させる為のエピソードを少なくともなにかしらはワンクッション挟んでいた筈だし、そもそもが重要なターニングポイントとなる章をわずか2巻程度で終わらせはしなかったのだろうが、実際にはそうせず煉獄の出番はそれほど多くはならなかった。

恐らく、それすら"蛇足"と判断したからなのだろう。

原作は、その位"スピード感重視"で物語が作られているのである。

ところが、アニメに関してはTVシリーズが全26話(2クール分+α)も放送され、1話23分として今作の上映時間を話数換算すると約5話分に相当する為、8巻分描くのになんとここまでで既に実質31話分の放送枠が消費されているのである。

これは、原作ではテンポを重視するあまり数ページや、下手をしたら数コマで語られた内容を、アニメ版は時間の許す限り引き延ばしてじっくりと丁寧に制作されているという事に他ならない。

正直、今作で言えば列車に乗り込んだ後、眠りに落とされてから覚醒までの言わばギャグパートは、尺稼ぎなのかちょっとしつこい印象を受けはしたが、しかしこれは昔のアニメにありがちだった"原作に追いつかない為"の引き延ばしとは全く違い、物語をしっかりと掘り下げる為の行為であり、それがあったからこそ原作では描ききれていなかった感情の"余白"も丁寧に描き出す事に成功し、感情移入も十分に行えるように仕上がっていた。

だからこそ、最後の「竈門炭治郎」の魂の叫びは涙腺を崩壊させる威力を生み出せた訳で、卑劣で道理を欠いた「鬼」と未熟な自分に対する悲壮感には胸を苦しくさせるだけの説得力がしっかり生まれていたのである。

原作も読んでいる方なら、恐らく今作を観る前と後ではこのシーンへの印象や思い入れがより深いものになった方は大勢いる筈だ。

これは、漫画とアニメの相関関係が非常に上手く噛み合った稀有な事例であり、文字と静止画でしか表現出来ない漫画の弱点を、音と動画による奥行きで補完し、相乗効果を以って完全なものにするという役割が今作では完璧に成された結果と言える。

もちろん、それは"原作ありき"で実現出来る事であるから、それを表現するに相応しい原作の素晴らしさは疑いようのない事実である。

例えば、あの状態の煉獄に最終的な"勝利"をもたらす為には"どうすればいいのか"を考えた時に、何故物語の舞台に"乗客を大勢乗せた列車"を選んだのかという根本にしっかりと帰結するよう予め物語が構成されており、物事の"必然性"がドラマチックな結末を見据えたうえで構想が練られていた事に最後の最後で気付かせる仕掛けには、素直に感服してしまう。

そして、先程も述べた炭治郎の魂の叫び。

台詞一つとっても、人の感情を大いに揺さぶれる言葉を創出して、それが成立する展開に繋げられる才能がある時点で、誰がなんと言おうとその作家は"本物"な訳だから、断片的な部分を掻い摘んでつまらないと一蹴するよりも、出来れば最低でも皆が良いと太鼓判を押すところまでを満遍なく見たうえで、そういった結論は下した方が良いと思う。

そうしないと、真に優れたものを見過ごしてしまう事が多くなってしまうだろう。

これは、何事においてもそうである。

それにしても、命を賭して護られたその命の使い道と恩義は、またその命を賭ける事でしか返せないという世界観は本当に残酷だと思う。

そして、その"全てを捨て誰かの為に立ち上がる"自己犠牲の精神に魅了され、このコンテンツは爆発的な人気を得たのだろう。

今作ではそれを十二分に再認識させてくれた。

ちなみに、エンドロール後TVシリーズ2期の製作の告知でもあれば更に盛り上がったのだが、それはまだおあずけのようである。

とはいえ、完結までの映像化はもはや約束されているも同然なのだから、じっくりクオリティ高いものを作ってくれているのだと思えば悪い気は全くしないので、どうぞ時間をかけて、また本当にいいものを観させてくださいと願うばかりである。

ちなみに映像化の予想としては「吉原遊郭編」「刀鍛冶の里編」をTVシリーズ2期。

「柱稽古編」を2期終了直後に単発のTVスペシャル。

「無限城編」を3部作で映画化して「vs 獪岳」「vs 猗窩座」を第1部。

「vs童磨」「vs黒死牟」を第2部。

第3部を「vs鬼舞辻無惨」「〜ラストエピソード」として制作されるのではと勝手に期待している。

最後に、観賞後たまたま「はま寿司」に寄ったら、炭治郎が「お皿の取り忘れにご注意下さい」と言っていた。

君はいつも人の心配ばかりしているが、今はそんな事言ってる場合でないぞ、炭治郎。
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