給食があった事を有り難く思える映画。
前置きとして、今作は2019年に放送されていた深夜ドラマの劇場版であり、内容もスケールもドラマ版のクオリティの域を一切抜け出ていない為、作品のファンでもなければ鑑賞はあまりオススメはしない。
さて、そんな今作は家の食事が不味すぎるあまり、学校で出される給食が大好き過ぎる教師「甘利田」と、給食を自己流にアレンジして最大限美味しく頂く事に執念を燃やす生徒の「神野」が、人知れず行う謎の給食バトルが物語のメインとなっている。
舞台は1980年代という事で、僕よりも一回り上の世代の給食事情を基に展開されていくのだが、登場するメニューは若干の違いはあれど大体は懐かしい献立ばかりで、ソフト麺やミルメークなんかは、今でももう一度食してみたいと思うほどのスター選手として、魅力的に描かれている。
まあ、実際に今食べたところで特別美味い訳はないのだが、そこが給食マジックの面白いところである。
中学までは自分で金を稼ぐ術も基本ない為、色んなものが規制の対象であり、それは食事においても例外ではなく、自分の食べたい時に食べたいものを食べるなど滅多に出来なかった。
だから、毎食決まった時間に出される食事の中で、特に家庭でも中々食べる機会がないような食品なんかは、その希少性も相まってか一段と美味しく感じたものだ。
つまり、あれは制限下で食べたからこそ美味しく感じられる類いのものであって、その枷が外れた今の身の上では決して満たされる筈もなく、食べた分だけ思い出とのギャップにただただ寂しくなるだけである。
ちなみに、今の学校給食は物価の高騰やら予算の兼ね合いなんかで、驚くほど質素で粗末なものになっている市区町村なんかもあるらしく、横浜市に至っては給食がないのが当たり前で、昼食の時間もたった15分しか設けられていないという。
食育という言葉があるように、出来るだけ好き嫌いを無くし、偏食を起こさないよう均整の取れた食事を提供するのはとても大事な事だと思うし、その大事さが分かり始めるのは基礎代謝が衰え出す20代後半頃からと意外と早いのだから、その基盤はさらに早い段階から養っておくのは、生きる事においては勉学よりも実はもっと大切な事なのかもしれない。
そして、自分が義務教育を受けていた頃は、給食があるのが当たり前だと思っていたし、90年代の給食が採算とクオリティのバランスが一番安定していた時期にあるようで、確かにそう言われれば味も内容も申し分ないものだったと記憶している。
しかし、給食が当然のように食べられていた裏には、その地区の教育委員会が費用の半分を予算から捻出し、もう半分を親が給料から支払ってくれて、その限られた資金内で栄養バランスを考え抜いた献立を調理する給仕さんがいてくれたおかげなのである。
そして今作でも、給食大好きな二人にそんな当たり前が当たり前でなくなる厳しい現実が突きつけられる事になる。
正直この映画を観るまでは、給食の有り難みや仕組みに思考を巡らせる事もなく、その当時の僕は給食なんてどこかから勝手に湧いて出てくるかの如くぞんざいに扱っていたものだが、今作における神野の給食に対する想いを聞いて、給食だけじゃなく給食があった時間そのものにも大切な意味があった事に気付かされる事となり、カルチャーショックを受けるとともに軽く感動している自分がいた。
おバカ映画かと思えば、問題提起もありつつ気付きまで与えてくれる内容に、期待薄だった事もあるが中々得した気分にさせてくれる作品であった。