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線路の行き先のmingoのレビュー・感想・評価

線路の行き先(1970年製作の映画)
4.1
「言えなかったよ」同様に台湾ニューシネマの歴史を書き換える一本。そしてめちゃくちゃ面白い。

ウッドリントークメモ2019.9.19

1970年ムートンフェイ2つめの作品。昨日の「言えなかったよ」も子供についての作品。27歳で作ったが、大きな会社に所属することはしなかった。本作は当時上映されなかった。おそらく暗い内容なのと同性愛がテーマで上映禁止になったのではないか。新聞記事で1.2つ語られているだけで情報がない。台湾の映画アーカイブで25年以上眠っていた。本作が上映されなかったので、ヨーロッパ南米にいき、70年代半ばに香港のショーブラザーズに参加。アブノーマルな作品を作った。黒い太陽731。悪名高い監督だったが、この二本を観てイメージが変わった。60年代の政治状況が嫌になってたことがわかった。戒厳令下の独裁政権。2人の少年はアマチュアの青年です。昨年上映する際オーストラリアから連絡。50年前参加したよ、死んでしまった男の方の役者。ラーメン屋のお母さんも台湾でその後有名になる。映画の外で息子とお母さんが出会ったことになった笑
クィアとかゲイを扱うのが勇敢だった、そのためアバンギャンドという括りになるのでは。エドワードヤン侯孝賢以前の台湾シネマの最高峰。台湾映画史が書きかえられる出来事。監督はフィラデルフィアに住んでて健康状態が良くなく今年の5月に亡くなってしまった。タイでムートンフェイのDVDを買うことが出来た。侯孝賢は学生の頃映画は作ってはないと言っていた、エドワードヤンは若い頃アメリカでエンジニアとして教育を受けた、課題作品を作るべきだと。アメリカでは8mmのホームムービーを作ってる。その作品はもう無いが1人だけ内容を語れるひとがいる。
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