肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

カモン カモンの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

カモン カモン(2021年製作の映画)
3.8
「母親業」という歴史を背負った壮絶へのリスペクトに、男よ、一度気絶しろ
急遽一時的に甥の面倒を見ることになった叔父さんの、「母」である妹を知り、自分も「母」親業を疑似体験し、甥との繋がりで「子供」を知り、自分さえも見つめ直す機会をくれるやさしいとき

「母(意味深)」と「子供」とで未来は作られる

本当に静かな、ジャームッシュ『パターソン』を思わすオフビート映画だから開始15分で隣の人のイビキが聞こえてくるくらいには疲れてる時は気をつけなはれや!(笑)

いやそれにしても、この奇妙な「叔父」と「甥」の関係性って"日本じゃありえない"に等しいものを描いているんですよね。
だって日本じゃ漫才のネタにされるほど叔父、叔母は同居してない限り"縁遠い存在"で、いくら幼年期だろうと「ハートフル」な関係に至ることは非常に稀w 兄であるジョニーが独身であることも米中親族間の中でもなかなかに稀有な「関係性」を描いたものじゃないかなと思います。
それくらい、親とも違う、大人⇔子供の親友関係とも違う「家族で同志」とも言えるような"絶妙な距離間"に尽きるやり取りを描いています。

壮絶で複雑な気苦労が絶えない妹(母)に悲劇は起こってないので、フランス映画『アマンダと僕』みたいな話かと思ったら違うし、邦画『ステップ』も同理由で端から違うのだけど、似てるようでやっぱり全然違う「関係性」なんですw

語彙のない似たような軽い言葉で腐るほど語られるストーリーについては避けて、この映画を見てまず抱いた感想を述べると、
"そつのない「視点」で繰り出される俯瞰的な映像と演出の隙のない上手さ"です。

小館系(インディーズ)のタッチの映画ながら、確かなアーティズムと革新(確信)的アプローチで繰り出す映画を「ポピュラー(周知)」にしてきたスタジオ『A24』。(ひとつ莫大なズッコケ映画があったけども…)
生業とするアメリカ各地のインタビューで"子供の生の声"を送るもんだから、甥であるジェシーの"荒唐無稽"な行動も"子供ならでは"の計算力、思想・発想、情緒が"裏打ち"されたものとして、とんでもない「リアリティ」と"「個」としての無理解の深淵"を覗かせるんですよね。ズルい(笑)

映像でいえば、なにもパターソン目当てでジャームッシュを挙げたのではなく、監督の"初期モノクロ作を彷彿"とする"寂しさと温かさが同居した映像"なんですよね。
ジャームッシュ映画は擦れた侘しさを感じ「孤独」に寄り添ってる酔い痴れ(褒め言葉)モノクロ作が大概だけども、本作も「モノクロ」映像の切り取り方として、現代でありながらどこか猥雑さから切り離したような個々人の世界を感じさせる映像なんです。(ここはコロナの撮影事情が関係してる可能性もあり)
それでいて、サントラの曲調も込みで重苦しい側面を描いているにも関わらず"どこかやさしい時間が流れている気がする"空間演出も見事。

それでいて、「ロサンゼルス」→「デトロイト」→「NY」とアメリカ各地に飛び、叔父甥コンビで集音器で音を収録するという和やかな日々を演出すると共に、車の昼夜の渋滞映像を挟み、パレード映像までも入れ、喧騒、猥雑さも映すことで"アメリカの「今」を映す"事を忘れてない"映像の緩急"も計算されています。

"アメリカの今"、"母(妹)の今"を描くにあたり、こちらが見ていて首・肩が重くなりそうなシンドく痛切な『母』の気苦労も"キッチリ"描かれているんですよ。元軍人でもPTSDでもない夫のメンヘラる精神異常という珍しいパターンで。
兄妹の関係を一時的に分かった"母の介護"映像もという畳がけで…

ここに『母』を描くなるなら母と兄妹の「回想」が必要じゃないか?という疑問が上がりそうですが、言ったように「母の今」を痛切に描くことで、"過去にも未来にも"連綿と続いていく「人類史と母親業」が示されているので、"描く必要がない"とする聡明な判断があったのではないかと思うのです。

と、ジョニー&ジェシーの関係性が注目されがちですが、キッチリとした計算と"「母」に対するリスペクト"が本編全体に行き渡っている"こそ"、ジョニーの拙い"子を見る「視点」"が活きる映画となってることをお忘れなきよう、この映画を感じ取ってみてください。なーんてね(^_-)