Naoto

アメリカの息子のNaotoのレビュー・感想・評価

アメリカの息子(2019年製作の映画)
3.5
アメリカの息子。
そのタイトルはアメリカ人の家庭に生まれた男の子という意味ではなくて、アメリカに巣食う人種差別が生み出した物という意味だった。

大陸から移り住んだイギリス人達が労働力としてアフリカ大陸から連れてきたのが黒人だった。
以来、人権は認められず、物質として扱われ続けてきた。
そんな状況に黒人達が反旗を翻し、
「俺たちは人間なんだ」という意思を示すために行われたのが、座ったり(シットイン)歩いたり抵抗しなかったり(公民権運動)することだった。
ここで、やっと黒人人種が誰にも束縛されることなく自らの意思を表明する機会を得た。
結果として手に入れたのが公民権法の制定、つまり法的な人権の獲得だった。

これで人種差別はなくなる。
なんて甘い世界ではない。

自分達は黒人よりも尊ばれる存在で、優位に立っていて当たり前だ、と思うことが可能な法制度、教育の中で育った白人の中から、DNAレベルにまで組み込まれてしまった差別意識を拭い去る事は簡単なことではない。
ところが一部の過激な差別主義者達(KKKやネオナチ)を除いて、公民権法が制定されて法制度が整ったのであるから、もう問題は解決したと認識してしまう。

これが差別への理解力の低さや、関心の薄さにつながる。
結果知らず知らずのうちに差別を許す土壌を作ってしまう。
本作に現れる黒人のベテラン警官はそうした土壌に飲み込まれて尊厳を失っていた。

翻って、黒人人種の視点から見てみると、彼ら彼女らはいまだにそうした無意識の差別を受けながら、臍を噛んで生きている。

白人であれば許されるようなしょうもない悪さをしたらギャングと蔑まれ、刑務所にホイッと投げ込まれる。
過激な差別主義者達に狙われれば理不尽に命を奪われる。
そんな、油断すれば尊厳が奪われるような、油断すれば死が襲いかかってくるような状況で生きている。

黒人人種にとって、人種差別の問題は普通に今日生きていくための喫緊の問題でしかない。

ここに圧倒的な意識の差が生まれてくる。
アメリカに巣喰った人種差別は、無関心と命の危険という子供を生み出してしまった。

もし、本作を見てお母さんの言動が鬱陶しく感じられたり、は?とか思ったりしたのなら、ちょっとまずいかもしれない。

その不快感は袞竜(こんりょう)の袖に隠れて抱いている甘えた感情だったりする。

僕の好きなイタリア文学者・随筆家の須賀敦子という方の言葉で、
誰かのことを理解したいのなら、塩1トンを一緒に飲まなければいけないという言葉がある。(確か)

もし、黒人人種の方々がどれほどの思いで生きているかを理解するためには、我々も塩1トン分の辛酸を一緒に舐めなければいけないのかも知れない。

人と一緒に生きていくということは、伊達や酔狂が通用しない、本気の行為だ。
Naoto

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