オープニングの乱痴気パーティシーンは圧巻でした。
もう、豪華絢爛、狂乱乱舞、地獄絵巻、もう度肝を抜くって
こんな感じでしょうか?
本当にこんなパーティが繰り返されたのでしょうか?
でも、どんな豪華なパーティーも終わりがやってきます。
サイレント映画から、トーキー映画への過度期の狂乱と悲哀が
3人の人物を通して描かれていて、映画が持つ魅力が伝わってきました。
パーティで雑用をこなしていたマニー、女優志望のネリー、
既に大スターだったジャック・コンラッド。
この3人の夢と希望が爆発したサイレント時代は、
まさに狂乱乱舞、何でもありの世界。
だれもが映画に夢中になった時代。
しかし、ネリーの自由奔放な生き方は、しだいに時代からは
はみ出したいく、また、ジャックもトーキーになると演技が
下手だと笑われしまう。
この時代の流れを見事に映し出していて、もの悲しいです。
あんなに輝いていたのにと・・・・。
マニーもネリーに引きずら、アメリカを去ることに。
そして、サイレントからトーキーになって、
俄然その演奏が認めらて注目されたジャズ・トランペッター
シドニー・パーマーにも、悲しい現実が。
時代の流れは栄枯盛衰。しかし映画は常に進化していく。
映画は、人々の人生を楽しく彩る存在だと言いたかったのでしょうか?
ラストの「雨に唄えば」のシーンには、
監督の映画愛が描かれたいたのではないでしょうか?
マニーが過ごしたサイレント時代も決して無駄ではなかったと。
「セッション」の熱量と「ラ・ラ・ラ・ランド」の音楽を感じました。
是非、劇場で観て欲しい映画ですね。