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デルフィーヌとキャロルのmingoのレビュー・感想・評価

デルフィーヌとキャロル(2019年製作の映画)
3.7
見辛い。デルフィーヌもキャロルもちゃんと知ってる人なんて居ないだろ…アケルマン「ジャンヌディエルマン」と、サミーフレーが記録したドキュメンタリーと、本作併せてやっとディエルマンの概要が分かるといった感じ。にしても本作ではデルフィーヌがめちゃくちゃ良く撮られているがサミーフレー作の方ではアケルマンにパワープレイかます老害ババアとしてのデルフィーヌが活写されているから映画は多方から観て掴むべきだと思わされる。

デルフィーヌセイリグについてトークメモ
2つ語らないといけない。女優としての芸術家だがフランスのフェミニズムの代弁者として存在している。初期はレネマルグリットアケルマンの俳優として、近年ではフェミニズム運動として女性の自己解放のパイオニアだった。生い立ちを遡るとスイス出身で母親は貴族階級で父親は外交官、つまり上流階級であった。生まれる直前にレバノン外交官として在留していた10歳の1942年にNYに文化担当官として派遣されアメリカに移住、そこで英語をマスターすることでのちにハリウッドへ進出していく、ジャズにも目覚めた。第二次大戦中文化担当官で亡命してきたジョアンミロやレジェ、アンドレブルトンらと知り合うことになる。10代の頃から先鋭的な芸術家たちから感化され何か新しいことをやろうという気になっていたのでは。再びレバノンに戻りアメリカで学んだことを持ち込み、中近東の社会を自由でみる。どこか土地に結びついていない。デュラスは外国語のように彼女はフランス語を喋ると語っている。どの社会に対しても外からの視点を持ち込んで点検できた。軽やかな距離感を持ち続けた人であった。18歳で女優になりたいとなりパリに演劇留学、アメリカ人の画家と結婚し長いこと仕事を見つけるのが大変だった、個性的な身体と独特なルックスで30歳になるまで苦悩した。夫もパリでは絵が売れなくNYへ移り住む、50年代後半にグリニッジビレッジに住み新しい絵画運動に傾頭していく。ロバートフランクとも知り合い、中編映画やビートニク映画、ジャックケルアックらと組んでセイリグが出たりすることになる。これから見せる「プルマイデイジー」映画はカサヴェテス「アメリカの影」に似ている。予算の関係でサイレントであとから全部ケルアックがアテレコしている。爆笑。若い生活のボヘミアン的な生活を描いている、妻を演じている。嫌でしょうがなく全員を追い出す役。古典的な意味での優雅さと洗練さが無く真逆な意味でうつっている。また第1作で女性の悪役を演じ夫を去勢するような強い役柄。男の自由を制約するために勤勉さを持ち込むのがこの映画にみえる。保守的な人妻の役で15年後にアケルマンのデュエルマンで演じることになる。彼女はこの一作目が大嫌いで2度と映画に出るもんかと思ってしまった。しかしそこでレネのマリエンバードの主役を探しておりまた無名の女優が良いとのことでウィリアムクラインがセイリグを紹介することになる。マリエンバードは人工的な見事な洗練され尽くした極端な例。ハイパブリックなアイコンは映画が生み出したスターである。30年代の女性スターを研究した、グレタガルボなどのサイレント的な演技。身体の動きを構築するような極端な魅せ方。ハリウッド映画のメカニズムを継承し過去のものであるスターというアイデアの亡霊として彼女は現れている。70年代まで間はスターを演じることが多くなる、髪型。特別な存在としてみられている。映画ファンの間でよく知られていた。映画の中ではスターだが商業的にはあまり知られていなく、映画作家の想像上のスターであり続けた人物。夜霧の恋人たち後、70年代に入るとテレビで女性の怒りを語るようになる。72年のテレビの発言、男性の奴隷、労働をさせられている。74年に人工中絶が認められたが72年からは女性監督の組もうとするベルギーの若い監督と出会うことになる。彼女が夢見ていた映画で映画史の大傑作であると同時にフェミニズムの傑作である。スクリーン上の女神様的な存在から主婦のような日常を生きさせることにより奴隷を強調させていく。自身でも表現したいと思いキャロルロスプロスと共に共同作品を作っていく。「美しくかつ黙れ」というジェーンフォンダなどの女優たちへのインタビュー形式の作品。映画の中でどのように死ぬか、女優の消費。ドヌーブは120本出てるが4.5本しか死なない、死ぬイメージを思わせない存在。ユペールだったら何十回も死んでいる、ギロチンで切られたり演技としての強さを見てみたいと思わせる女優。セイリグは男に殺される役をやる、赤い唇は魔女裁判における火炙りの刑の再現、ヴェラバクステルでは魔女裁判の記憶を語る。独立したら魔女として断罪していく、フィクションとしてそういった流れがあった。しかし現実でも彼女は1980年代以降50代になっていくが彼女が活動家として動き俳優としては干されていった。90年に58歳で亡くなったとき過去の女優として忘れられた存在になっていった。不思議なことに30年経った今若いファンに受け入れられている、旬の女性としてシンボルとして復活している。自己啓発のしてのシンボル。
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