Aya

トルーマン・カポーティ 真実のテープのAyaのレビュー・感想・評価

3.3
#twcn

トルーマン・カポーティーの当時の映像やテレビ映像、彼の周りの人々への当時のインタビューと現存する関係者のインタビューをまとめたドキュメンタリー。

時系列がごちゃごちゃなのでそれに気づくまで超わかりにくいっすw

最初に語り出したのはカポーティーの晩年の恋人の娘。
つまり義娘。

彼女の家庭から父親を奪い「仕事を紹介してほしい」という彼女をモデルに押し上げた。
田舎から出てきたティーンエイジャーを上流階級(NYハイソサエティ)の世界へ引き込み自身と同じ作家に仕上げたのだ。

カポーティーはカフェやレストランでの人々の会話に耳を澄まして執筆をする。
つまり彼の作品は誰かの人生のおしゃべり。

多くの作家やジャーナリストが彼のことを”Bitch"大人のゲイを演じる男"(Aging queen)"小さな妖精のごとき南部の美少年"ゲイの王子様(Beautiful fuggot fit)"熱で歪んだろう人形"と呼び大きな声"Deep rough"で笑うゴシップ情報の帝王と語る。

本人曰く"真実は美談を損ねる"

誇り高き美しきゲイの王子様だ。
誰よりも堂々とありのままで生きていた人間。
若い頃のカポーティーがちょっとフレディ・フォックスくんを彷彿とさせる綺麗なハンサムなんですよ!
(ありのままの姿が美しいっていいね・・・)

そんなカポーティーが綴る多くのマンハッタン恋物語。
アメリカで初めての本格的な同性同士のロマンス小説。
しかもヘテロの若い女性たちが大騒ぎするほどの美少年、当時24歳の自分がソファで気怠げに寝転ぶ姿を背表紙にして。

それほど1900年代半ばはマンハッタンがこの世界の中心だった。

若く成功した作家でありながら、友人とのパーティーやランチ、ファッションや恋愛ばかりで楽しそうな彼は文壇から見下げられていた。
そして30代半ばで"ティファニーで朝食を"(Breakfast at tiffany's)を書き上げる。

しかし改変されたオードリー・ヘップバーンの映画に激怒したという。

主人公ホリーのモデルは彼の母親だったそう。
田舎町で育った孤児。
美しき娼婦。
彼女は幼いカポーティーをかなり遠い親戚に預け都会へ出てゆく。
映画さながらマンハッタンで資産家と結婚しそこそこ大きくなったカポーティーをNYへ呼び寄せる。

幼い自分を捨てた母、成長し成功してもそのセクシャリティ故についには母の愛を得られず死別。
その心の傷から生涯愛を求め多くの恋人やパートナー、友人()が居たにもかかわらず誰からの愛も信じられなかった。

そして多くのマンハッタンの美しい女性たちと親しくなり秘密を打ち明けられる楽しい友人になる。
時に何かを盛大に褒め称えたと思ったらすぐにディスり出す。
大いに厄介な人物である。

未解決の一家惨殺事件の取材の際はゲイを見たことがない保守的な田舎町の人々すら仲間にし犯人とも会っていた。
しかも無感情ではなく。
彼はそれを「冷血」と名付けた小説にした。

そしてプラザホテルで行われた大規模な仮面パーティー。
世界中のハイソサエティ人種が集まりその装いに酔いしれる。
会場は仮の姿と素晴らしき人々(ゲストリストを公開するっていいねw)

"ハイソサエティ"女優に資産家、モデルに投資家。
一歩外に出ると皆がライバルで、アメリカはベトナムに爆弾を落とし若者がデモとドラッグで声を上げていた。

そんな歪んだ一夜の夢。
マスコミは建物の外。
2021年のオリンピックよりも徹底しているw

晩年は筆が進まず書いては破り出版は何年も先延ばしに。
ハイソサエティ人種たちが世界中が待ち望んだ新作「叶えられた祈り」でついにカポーティーは今まで耳にしたあらゆるゴシップと友人たちの内緒話を「小説」という名で世間に暴露したのだ。

彼を信じて口を開いた多くの友人やその友人が激怒し命を絶つ者まで現れる。

友人のドットソン・レイダー曰く"敬愛する彼女たちに女性だという理由で不幸な結婚と不遇な人生を送らざるを得ないが自分だけは味方だと示したかった"と。
他人事やと思ってなあ。

レイダーは徹頭徹尾カポーティーの行動や小説をプラスの方向に捉えているような軽いインタビュー。
比べて同じ作家のジェイ・マキナニーのインタビューは慎重に言葉を選んだもので余計なことは言わない。

細かく描写された"月経中の女性とのSEX"がそんな大事だなんて女性と性関係を持ってこなかったゲイならでは、と徹底的にディスられる。
そりゃ知らないわなあ。

ハイソサエティに居場所を無くしたカポーティーはスタジオ54の世界へ。
おう、時代を感じるぜ。

「役者は頭が悪いほど演技が上手い」とトークショーで公言し、皆が彼の話に笑い転げ真実か作り話かは重要でないと語る老人。

そこからは作家の下り坂、中の中って感じで酒とドラッグに溺れ更生施設への入退院の繰り返しとトークショーでの失態。
作品を読まずに訪ねてくる記者。

そしていつまでも発表されない「叶えられた祈り」の続編をついには明かされずになくなった。

この映画のインタビューに登場する多くの人が"小説は書き上げられた"と信じている、と語っている。
貸金庫に預けている、誰かに売った、オークションで高値が付く頃合いを見計らっているetc...

まあ確かに「ある」と証明するよりも「ない」と証明する方が遥かに難しいんですけどねぇ。
私には落ちぶれた文化人の最後の遊びに聞こえました。

興味深かった。
カポーティーの作品を読んだことがなく映画では見たことがあるけどうっすらとしたパーチー好きのおっさん、としか認識していなかったので色々知れました。

彼の友人には2種類いて、彼と楽しい時間を何十年と過ごし飲み明かしダンスやおしゃべりに興じて裏切られたNYハイソサエティ人種。

そして彼ともっと長い時間を共にしハイソサエティのコミュニティには招かれなかったが彼を盲目に信じている・信じたい人。

トルーマン・カポーティーについて客観的に話す彼らはテロップでは「友人」と書かれていたけどきっと違う。
知り合いの傍観者。
彼らが愛しているのはトルーマン・カポーティーではなく彼の小説でしょうね。

どちらにしろ、このドキュメンタリーで語られる範囲を見ても本人のいう通り「誰からも愛されてなかった」ように感じました。


日本語字幕:酷かったです。
Servant=下僕にしたり日本人パーク・アベニューくらいわかるわぁ!!