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星の子の会社員のレビュー・感想・評価

星の子(2020年製作の映画)
3.0
とあるきっかけで新興宗教にのめり込んだ両親の下、素直に育った主人公は、中学校生活最後の年に出会った数学教師に恋をする。成長に伴い様々な経験を経ながら、次第に自身の家庭環境に疑問を持ち始めるのだった。



・信仰と家族の連帯
両親に対する反抗心の余り家を出ていってしまった姉とは対照的に、その教義に疑問を持つことなく素直に育った。怪しい宗教と揶揄しながらも受け入れてくれる親友の存在もあり、周囲に迷惑をかけることもなく、世間との乖離を認知しつつもそこに揺らぎは生じなかった。
なぜなら、家族の強固な信頼関係があったからである。そのため叔父が妹である主人公の母を救おうと画策した際も、最終的には姉も含めた家族全員が結託して家庭崩壊を防ぐことになる。家庭関係については後述する。



・信仰と恋心
主人公は、ある日出会った数学教師に恋をする。幼少期の心に深く刻まれた憧れの海外の俳優をそこに投影し、現実離れした恋心を抱く。しかし、宗教に染まりきった両親の姿を見た彼は、それを否定する。その時主人公は、これまで自分が当たり前のように信じてきた存在を、よりにもよって最も信じたい存在に否定されるという現象に直面する。
不自然に挿入される急なアニメーションシーンに疑問を持つ人も多いだろう。劇中ある人は、信仰を続けることで、空も飛べるようになると言う。それはもちろん文字通り解釈されるべきものではない。信仰の世界は、現実から離れた目には見えない世界にある、あるいはそう信じることで信仰体系は成立する。それまで信仰心を持っていた主人公が、恋い焦がれた教師に裏切られることで生じた、主人公の信仰心への揺らぎ、まさにどん底に突き落とされるような墜落の表現は、アニメーションでなければ描くことが出来なかったのだと考えられる。
そのため、もうその教師が観念上の存在とは異なる生身の人間と捉えることしかできなくなり、主人公は絵を描くことを止めてしまうのである。現実社会と信仰世界との交わることのない距離について、思春期の女子における一方通行の片思いと重ね合わせて展開させている。



・信仰と自由意思
主人公は、今ここに自分達がいることは、自分の意思ではないと、ある人物に繰り返し言い聞かされる。それは何か大きな力に引き寄せられているという新興宗教ならではの宣伝文句かもしれない。特に小さい子どもは知らず知らず親の影響を受けるものであり、集会への参加も自らの意思とは必ずしも一致しない。
主人公の意志決定については、進学についてのシーンがある。前述の信仰の揺らぎを経た後、進学に伴う両親との別離の提案は、力強く断る。家族として現状を維持することを選んだのである。それは紛れもなく自らの意思であったが、信仰心とは一線を画するものだと考えるべきである。
事実、年に一回の会員の大規模な集会の際は、これまで当然のように受け入れてきた物事に対し、一歩引いた角度から見てしまうことで、信仰に対する迷いを持っていることが表されていた。両親とすれ違いを繰り返しなかなか会えない中、一人でその環境を過ごすことになった主人公は、そこでも自由意思について説かれる。迷いの中で主人公は、宗教への信仰心と家族への信頼を、切り分けて捉えることが出来るようになりつつあったのではないだろうか。



・信仰と家族
ラストシーン、主人公と両親は星空の下、時間を忘れて語り合う。その3ショットに加え、家を出た姉からの連絡から、家族がまだ繋がっていることを示唆する。そこで三人は流れ星を目撃する。流れ星に願うということは、一般に広く受け入れられる、まさにある種の信仰の象徴である。
しかし現実世界から逃避して、いくら時間を忘れても、主人公と両親は、ついに同じタイミングで同じ景色を見ることは出来なかった。「まだ」見ることが出来ないという父の言葉はもの悲しくもあるが、一方で、学校のように時間に追われる現実社会とは異なり、家族の信頼関係の構築にはどれだけ時間をかけてもよいというメッセージといえよう。



新興宗教に翻弄される家族を描いた作品でありながら、決してそれを否定はしていない。また主人公の今後についてもあらゆる可能性を残している。
あえて消化不良な幕引きにしたことにより、様々な家族関係を肯定する前向きな力を我々に与えてくれるのである。
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