316本目。アカデミー賞で脚本賞を取り、評論家やフォロワーさん達の評価も高い本作。正直ゴア描写がキツいと嫌だなぁ、サイコサスペンスっぽいから絶対これは観てて痛い描写があるんだろうなぁと勝手に思ってしまって先送りにしていたのですけど、「映画は世界を知ることが出来る窓」であると標榜するのなら、観なければならない作品だろうと思い、意を決して鑑賞してみることにしました。
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…なるほどなるほど。こういう作品だったのですね…
安易に言葉を紡ごうとすると、背後から刺されてしまいそうな、強い意志を持つ作品なのだと感じました。感想を書くのがとても難しいですが、書いてみようと思います。
■オーソドックスな構成でありながら隙の無い作品
この作品をひと言で表すのならば「隙の無い作品」であるということになるのだと思います。
アカデミー賞を獲った脚本がそうであるというのはもちろんのこと、演出も美術も音楽も演者の演技も全く隙の無い作品なのではないかと思いました。話の流れとしてはとてもオーソドックスな展開で推移していくのですけど、観客に対する情報の与え方が非常に巧みで、興味の引き付け方が秀逸だなと感じましたね。また、パステルカラーを使った美術全般がとても印象的であり、ヒロインの衣装の変遷もヒロイン自身の心情の変化がそれで読み取れるようにも思えて、とても面白いなと思いました。マーゴット・ロビーが制作陣に加わって携わっているそうなので、そのあたりの絵作りは彼女のパブリックイメージとも結びつけやすく、それでいて不自然ではなく印象的に、なんなら可愛らしく仕上げられているなと思います。
もちろん、セリフで説明をしなければならない部分は説明的に見せないように最大限工夫しながら、極力映像や役者の演技を駆使しつつ、説明的にならないようなシチュエーションを「隙を見せずに」構築したうえで表現していくので、非常にスマートな出来だったのではないかなと思います。過去に遡るというのはサスペンスではそこまで珍しくないモチーフの一つですけど、最低限の小道具と「尋問」だけで概要を観客に理解させてしまうというのは、そうなかなか出来ることではないのではないかなと思いましたね。
それと、作品の第一印象では流血もいとわないサイコで痛々しいゴア描写だったり濃厚なラブシーンがあるのかなと思いきや、全くないどころか、敢えてそういうものは見せない姿勢を貫いているというのも、凄いなと思いました。もちろん、似たような経験をされてしまった人たちに対する配慮もあったのだと思いますけどね。また、使われている楽曲の数々も素晴らしく、英語で意味がわからない自分でも「きっと歌詞に意味があるのだろうな」ということがビンビンに伝わってくる使われ方だったと思います。
ただ、この作品の最も重要な部分はそういう所ではないですよね…
自分は「作中でヒロインが何を想っていたのか」ということが最も重要な要素なのではないのかなと思いました。ここからはそれらを中心に考えていきたいなと思います。
(以下、極力ネタバレはしないように書きますが、本編の内容に触れざるを得ないのでご了承ください)
■既にあったヒロインの「覚悟」と「絶望」
おそらくなのですけど、ヒロインは映画が始まった時点から、既に「覚悟」をキメていたのではないかなと思います。自分は観た直後「え、そんなことをしてたらヤバかったんじゃね?銃持ってるヤツだっているかもしれないんだし」と思ってしまったのですけど、そんなことはヒロインにとってはどうでもよかったのですよね。むしろそう振舞うことで「あの時」「彼女」が味わった出来事に少しでもにじり寄りたかったのではないのかなと自分は思いました。その結果どういうことになってもいいのだと思ってしまったのだと思います。
つまり、ヒロインにとってのあの行為は「復讐」というよりは「贖罪」であり「自傷」に近いものだったのではないかなと思ったのです。そう考えれば、ヒロインがああいう生活環境で暮らしているのも理解が出来ますし、「ホットドッグ」や「バール」のシーンもヒロインがどういうつもりだったのか理解が出来ますよね。極端な話、ヒロインはもはや"今世での諸々"に、映画の最初から既にある種の絶望と諦めを抱いていたのだと言ってもいいのかもしれません。
もちろん周囲の人間は、真相を知らなくともそんなヒロインのことを心配するでしょうし、"当事者の家族"はヒロインに気遣った言葉をかけようとしますよね。そしてヒロイン自身も一度はそういう想いに応えようと努力をしようとしていましたが…その後の展開はあまりにも残酷でした。あれではより「絶望」と「復讐心」にブーストがかかってしまっても仕方がなかったのではないかなと思います。
個人的に凄いなと思ったのは、その前提がある上でクライマックスの「復讐劇」をヒロイックに描くのではなく「そうは言っても何も考えずにこういうことをやったら現実にはこうなるし、こうなってしまったら全部ムダになるんだからね!」と描いていたところでした。そのあたりは、昨今の世の中におけるさまざまな「ムーブメント」についての"危うさ"も見据えているように思えて、とてもクレバーな描き方だなと思いましたね。もちろん、観ていてああいう結末で本当に良かったのか、ヒロインに問いかけたくなりましたけど、たぶんヒロインは「だったら他に方法はあるの?」と言い返してくるだろうし、そう言われてしまったら何も言えなくなってしまうのではないかなと思います。そこは自分自身も目を背けずに向き合って考え続けないといけないことだなと思いました。
■「プロミシング」な「ヤングウーマン」だけの問題なのか
ただ、一つだけ疑問に思ったのは「これって"プロミシング"な"ヤングウーマン"だけの問題なのかな?」ということでした。本質的なところまで考えていくと、性別や年齢を問わずにどんな人にも人権はある訳で、人としての尊厳を踏みにじる様なことは、どんな人に対しても許されることでは無いですよね。性的な問題ならなおのことそうだと思うのです。同性愛だからと言ってルーズな関係が許される訳では無いですし、どういう状況の、どういう世代の同性でも異性でも「そういう目に遭っても仕方がない」人なんて居ないはずですよね。そう考えていくと、なんだかタイトルをそう付けてしまったことによって、対象が絞られてしまっている様にも見えてしまって、作品が持つ本質的な内容とそぐわないのではないのかな…と思ったりもしました。けれどもこういった考えって、BLMに対して「ALMのほうが正しいんじゃないの?」と言って問題の本質をぼかそうとするやり口と同じことみたいにも思えてしまうのですよね。そういうことでは無いと自分は思うのですけど、どうなのかな?どうなのでしょう?貴方はどう思いますか?
いずれにしろ、こういった悲劇を起こさないようにするには、理性をコントロールしながら目の前に居る相手を本気で尊重しあえる方法を、粘り強く考えながら地道に成し遂げていくしかないのではないのかなと思います。
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ということで、首元に刃を突き付けられるような気持ちにさせられてしまう作品でした。性とジェンダーの問題に限らず、バイアスでそうだろうと考えを決めつけてしまいそうになるようなことが増えてきているなと思うので、まずはそこを見直してみるところから始めないといけないのかもしれないですね。
考えさせられる作品です。ぜひぜひ。