せーじ

BLUE GIANTのせーじのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
4.5
あけましておめでとうございます。
新年早々からこの国は、そして自分自身も含めて様々な意味で厳しい試練と向き合わされようとしていますが、せめてこの場だけでも大事にしていきたい。好きなものを観て思ったことを好きに表現していきたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。

※※

ということで、344本目。
「ジャズ(ズージャー)」と聞くと、どこから聴けばいいのかわからなくて尻込みしてしまいそうになるので、AmazonMusicで薦められている楽曲を流しで聴くことくらいしかできない無知でセンスが無い自分ですが、方々から伺う本作の評判の良さを知り、ずっと興味を持っていました。
観ようと決めたのは『すずめの戸締まり』を観た時に本作の予告を観て惹かれたからですね(何に惹かれたのかは後述します)。ワクワクしながらDVDを挿入。再生。





熱い!
新年一作目の鑑賞をこの作品に決めて、大正解でした。
贅沢すぎる120分。物語はオーソドックスですけど、熱量が大谷翔平か佐々木朗希の剛速球並みにキレのあるストレートで芯を食っていて、凄まじいなと感じました。アニメでしか為しうることが出来ない傑作だと思います。

■東京にはジャズが合うんじゃないか説
実は自分、以前から薄々そんなことを思っていました。東京という街には、ジャズがよく合うんじゃないかなと。「どうして?」と言われると具体的に言語化しにくくてちょっと困るんですけど、東京という街が持つ整然とした規則性というか緻密さに、ジャズというジャンルがよくマッチするのではないかなと思うのですよね。iPhoneとかでジャズを聴きながら街歩きをしていると、それが本当によく伝わってきて、普通に歩いている時と比べると全く違って見えることが結構な確率であるんです。…ジャズに限らずイヤホンとかクルマの中で音楽を聴きながら外出する人は、一度は体験したことがあると思うんですが、実際目の前で展開している風景と聴いている音楽がバチッと重なった時、すごく気持ちいいなと思うことってありませんか? ジャズを聴きながら東京の街を歩いていると、それをよく感じるのです。
で、本作は「それは自分個人のヘンな妄想などではなかった」ということが、如実に表れていたというのがとても嬉しかったです。劇中で描かれている東京は、自分もよく知っている風景ばかりで親しみを感じるのと同時に、大が練習しているサックスの音が加わることで生じる気持ちよさが完璧な形で表現されていて、無茶苦茶カッコよかったです。「うわぁ、この場でこういう体験をしてぇ!!」となりました。すごいのが、街の描写そのものは別に特別に手を加えられているという訳ではないのですよね。あくまで写実的に、忠実な方向でこの作品は東京の街並みを描こうとしていて、そこに音楽が加わることで生じるものを、作り手は大事に大事に伝えようとしていたのだと思うのです。
それがあるだけでとても素晴らしいなと思います。

■三者三様の「熱さ」と「夢」と「挫折」
あとは、これしかないですよね。JASSのメンバーとなった三人三様の人間ドラマが色濃く描かれていて、とても感情移入しました。
いいなと思ったのが、「夢を追う」過程で生じる普遍的な「あるある」なエピソードが、全編に渡って効果的かつ印象的に散りばめられていて、展開は速いのですけど起伏が大きく、何度か落涙しかけましたし声にならない声を出してしまいました。これはジャズなどの音楽に限らず、「何かに全力で取り組もうとした人」なら、誰でも理解できることなのではないかなと思います。中盤のジャズフェスでのスカしたおっさんの態度とか、ホントにあるよなぁこういうムカつくことって思えましたし、その後の場面で、雪祈がある人に粉々にされるところとかは本当に悶絶しました。…まぁそれに比べると、大が孫悟空やルフィみたいに完璧超人過ぎておかしいんじゃねぇかと思う人も少なくないかもしれないですけど、彼は彼で上京以前もしてからも、ずっとちゃんと"修行"し続けていますし、「誰だって最初はシロウトだった」ということもきちんとそつなく描いていたので、そこはまぁいいかな?と思えましたね。
それよりも個人的に最も感情移入したのは玉田くんでした。最初にそういう展開に移り始めた時は「ええぇ…大丈夫なの…?」と思ったのですけど、二人の"怪物"を前に彼は本当によく頑張ったと思います。だから、あの「出待ち」の場面はちょっとヤバかったですね。そしてクライマックスのあの場面は本当に素晴らしかったです。

■気になった部分
ただ、気になる部分が全く無い訳ではなかったです。
まずはJASSが演奏している時の映像の部分。自分のフォロワーさん達の中でも「CGがちょっと…」という部分を指摘されている人は結構多かったのですが、実は自分はそこまで気にはなりませんでした。
これは視聴環境に依る部分が大きいのかもしれません。ウチのテレビはフルですらない32インチのHD画質に過ぎず、サウンドバーを接続しているとはいえ、映画館での視聴とはやはり体験が雲泥の差になってしまいます。『アクロス・ザ・スパイダーバース』を観た時にも思ったのですが、やはり映画館と自宅のテレビとでは没入感の度合いというか没入の種類そのものがまるで違ってくるのだと思うのですよね。なので本作や『アクロス~』を映画館の環境で観たとしたら、おそらく映像としての印象や体験はガラッと変わるのではないかなと思いました。それよりもむしろ個人的に気になったのは、『演奏中の抽象的な映像演出』でしょうかね。アレも作り手が知恵を絞って絞って絞り切ってひねり出したものであるということは一目瞭然なのだとは思いますが、観る人が観たら類型的だなと思ってしまう内容なのかもしれません。以前にも書きましたが、本来はああいうイメージを「観た人が自由に抱くこと」が大事だと自分は思うので、音楽に象徴的なイメージを掲げてしまうのは、こうだという決まりきった答えを掲げてしまうことにも繋がりかねないので、あまり良くないと思うのですよね。ただ、本作の作り手はそこもおそらく意識はしていて、だからこそあのような抽象的なイメージを構築したのだと思いますが、それもあまり際立たせすぎると危ないよな…と自分は思いました。また、観客のリアクションも工夫して工夫して工夫しきっていることは十分伝わってきますが…というところですかね。JASSのメンバーにとっては戦いの場であるはずなのに、オーディエンスが「彼らと縁のある人たち」ばかりであるというのも、若干ちょっと、どうなのかなぁと思います。こうして考えてみると、手がかりがない形のないものを表現するって本当に難しいなとつくづく思ってしまいますね。
ただ、「主人公たちの実情に合わないプロのミュージシャンが演奏をするのはどうなのか」という指摘には、それは違うと言いたいと思います。なぜなら彼らもかつてはそうだったはずだからです。もちろん玉田くんの成長のように技量などのアダプテーションも試行錯誤しながらやろうとしていたけれども、クライマックスの方はどうにも上手すぎてちょっと…というのはどうしても出てきてしまいますし、最後の演奏は「現実にはあり得ない」からこそ見せることが出来る、少しファンタジックな領域に片足を突っ込んでいる部分もあったかとは思いますが、個人的には全然、余裕でそういうのもアリだと感じましたね。なぜならこの作品には、大谷翔平や佐々木朗希が投げるような160km/h越えの剛速球のようなアツさがほとばしっていましたから。
ミュージシャンの方々も声優さんや俳優さんたちと同じように「演じるために出演していたのだ」ということが理解できれば、その部分は納得できるのではないかなと思います。

※※

ということで、新年最初の映画鑑賞がこの作品で本当によかったです。
この作品を観るのはもちろん、ジャズを聴きながら街歩きをするのは本当に気持ちがいいのでぜひぜひ。
おすすめです。
せーじ

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