せーじ

かがみの孤城のせーじのレビュー・感想・評価

かがみの孤城(2022年製作の映画)
4.5
345本目。
ずっと観たかった作品なんですけど、地元のTSUTAYAには一本しか無く、ずっと借りられっぱなしで、なかなか借りるタイミングが合わずに観る機会を逸してしまっていた作品でした。
ようやく、ようやく借りることが出来て、いざ鑑賞。




…なるほど。
この作品は、大人こそ先陣を切って観なければならない作品なのではないかなと思いました。特に子供と触れ合う機会がある人は必ず観るべきだと思います。なぜならこの作品で取り扱っている「問題」に対しての構造的な仕組みと処方箋がきちんと描かれているからです。もちろんそこには、「かつてそうだった大人たち」も含まれるでしょうし、言うまでもなく「今現在当事者である子供たち」も含まれているでしょうが、「アニメだから」「〇〇向けだから」(自分は観なくてもいいかな)という先入観は捨てたほうがいいのではないかな、と自分は観ていて思いました。
「また、アニメ映画やエンタメはこうあるべき(なのに)」という考え方も、ひとまず横に置いておいた方がいいと思います。逆に言うと合う合わないは確実にある作品で、ハイブロウな作りなのですけど、それ以前に伝えようとしている内容が真摯で切実なので、観るこちら側もそう向き合う必要があるのですよね。肩肘を張る必要はないですが、本質的な部分では、安易な娯楽性やカタルシスを求めるべき作品ではないのではないかなと観ていて思いました。

■手を差し伸べるということについて
大人になってからだと忘れがちですけど、いじめや不登校などで孤立してしまうと、今こうやって思い起こしている想像以上に逃げ場がなくなってしまう様に感じてしまうものなのですよね。「それでも学校に通わなければならない自分」という環境だけが人生のすべてみたいになってしまって、何かが起きても柔軟に対応することが出来なくなるのです。「そうは言ってもイマの子供って学校以外にもいくらでも"逃げ場"があるんじゃないの?」となりそうですけど、日本に住むほぼすべての子供たちには、数十年前から「学校に行く・行かなければならない」というぶっとくてクソ重い「バイアス」が存在し続けているので、それらの前では大抵の「逃げ場」は役に立たず、学校で居づらくなると当然地獄が始まってしまうわけなのです。
また、ひとたび集団から孤立してしまうと、その人自身に備わっているはずの他人とのコミュニケーション能力が著しく損なわれてしまいます。疑心暗鬼に囚われてしまうこともあるでしょうし、周りの人間がどう考えているのかというのも全く見えなくなるのですよね。自分のことを守ろうとするだけで手いっぱいな状態になるわけですから当然のことでしょう。本作のレビューで「なぜみんな"そのこと"に気がつかないのか、簡単なことなのに嘘くさい」という疑問を持つ人がちらほら居ますが、気がつかなくて当然なんです。何故なら他人のことを知ろうとする力が著しく損なわれた状態で、彼らは"城"に集められていたわけですから。
…そういった状況の中で、そういった状況に追い込まれている人に対してどうやって手を差し伸べようとするべきなのか、そして何をすべきで何をしてはいけないのかということを、この作品は非常に丁寧に描いていたのではないだろうかと思いました。「まずは安全だと心から思える環境に保護をする」ということ。それが出来たら「粘り強く寄り添いながら少しずつ心を開こうと働きかける」こと。それから「無神経に当事者同士を引き合わせて、無責任に解決を投げ出さない」こと。そして「自分が押し込められていたのは、一時的かつごくごく狭い関係性に過ぎないものであって、その外には広大な世界が広がっていると実感してもらう」ことが大切であると描いているのではないかなと思います。

つまりこの作品では、そういった理由で傷ついてしまった人が抱いている"心"との接し方や、自分以外の人々がそれぞれ抱えている事情などを立体的に知ることについての大切さを描こうとしているのではないかなと自分は思うのです。

その意味で個人的に素晴らしいなと思ったのは、宮崎あおいさん演じる喜多嶋先生の「手腕」でした。おそらく作り手はキチンと取材をされた上でディレクションをしたのだと思うのですけど、この作品で取り上げている「問題」の向き合い方と解決に導いた方法がきちんと現代基準で具体的に描かれていて完璧だったなと思いました。そして、何故彼女が完璧に振舞えたのか…という理由がわかるところで、思わず自分は「うおおおお!」と唸ってしまいました。物語として、深く意味のある円環構造の美しさに震えましたね。最後まで観終わってから、喜多嶋先生サイドからこの物語を観てみたいなと、自分は強く思いました。

■実は周到に計算・演出されている「舞台」
とはいえ、作品そのもののルックスからイメージすると非常に地味でかつ説教臭そうな、エンタメからはかけ離れた内容の作品であるように思えるかもしれません。ですが、実は大の大人が観ても人によってはざっくりと突き刺さるようなテーマ性があるというのはもちろん、大人でも十二分に怖く感じるホラー描写や身の毛がよだつようなサスペンス要素があるうえに、最序盤から結末へと周到に様々な伏線が張り巡らされているという、映画としてみても分厚い作品でもあると思うのです。また、全体的なコンテクストは高めなので、映像から積極的にこちらが読み取る必要がある作品でもあるとも思います。
つまりそういう意味でも「オトナ」な作品なんですよね。確かに提示される謎は映画を見慣れた好事家からしてみれば「読みやすい謎」だったりしますし、その割に結末はわかりやすい勧善懲悪におちないので消化不良に感じる人もいるのかもしれないですが、そもそも作り手は安易なエンタメとしてこの作品を描くことを目的とはしていないのだと思います。そんなことよりも、という作り手が心から真剣に伝えたい物事が明確にあるのだと思うのですよね。その真剣さと真摯さが凄いな、素敵だなと自分は思いました。
その中で演出上、個人的に凄いなと思ったのが、中盤の「襲撃シーン」とクライマックスの「九分間の音楽が流れるところ」ですね。"襲撃"のくだりは見せ方がとても上手いなと思いましたし、クライマックスはブルージーなギターソロがなだれ込む場面が凄まじくて息を飲みました。「そこまでやるのか」と。あれは完全に「子供向けかどうか」という概念をぶっ壊していた内容だったなと思います。
他にも「髪色の変化」だったり「足取りから読み取ることができる感情」だったり「オルゴール」だったり、「全体を通しての叙述トリック」だったり、冒頭とエンディングの描写だったり、「手」が意味するものだったりと、細かなところまで挙げていくと本当に色々と仕掛けられている作品です。なので、子供向けっぽい地味な作品だからと言って、舐めない方がいいと思います。
あの担任のように、子供を舐めるような大人には伝わらないかもしれないですけどね。

※※

ということで、高評価も納得の作品でした。
いわゆる「気持ちよくなれるエンタメ」を求めようとしてしまうと、ミスマッチが過ぎて「なんだこれ」となってしまうかもしれないですが、刺さる人にはざっくりと刺さり、大切にしたいなと思う作品になりうるのではないかなと思います。
そして、観た大人たちが真剣に今ある「問題」と向き合わないと、ですね。
子供と触れ合う機会がある大人は全員観ましょう。
そして、向き合いましょう。
ぜひぜひ。
せーじ

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