Kachi

ファーザーのKachiのレビュー・感想・評価

ファーザー(2020年製作の映画)
4.2
【老いを考えるきっかけに】

仏教で説かれる四苦の一つが「老い」である。死や病気、別離と異なり「老い」は当事者になるまでに相当な時間がかかるため、なかなか当事者意識を持てないまま、やがて自分自身が老いた存在となる。

認知症による「老い」を追体験できる作品。それが本作、The Fatherだ。アンソニー・ホプキンズが、アンソニー役を演じている。(なんだか変な感じがする)

それはさておき、本作は認知症患者を観察対象として観るのではなく、認知症患者自身が認知している世界を映像体験として受け取る作品となっている。そのため、入れ替わり立ち替わり現れる「知らない」人たちの登場に困惑させられる。娘には男性と出会いパリで住むことになったと告げられたかと思えば、娘の夫だと名乗る人物から10年間に亘って夫婦生活を続けていることを告げられる。

自分の住居だと思っていた場所は、娘の住むフラットであるかもしれないがそれすらも定かではない。時計は頻繁になくなる。何度も夜8時を迎え、チキンが食卓に並ぶ。食べた実感が心もとない…

自己の存在が不確かな記憶のせいで揺らぐ。この体験をわずか90分あまりの作品でさせてしまう手腕は流石だった。

記憶をテーマとした映画と言われ、真っ先に思い浮かぶのは「メメント」だが、小説に目を転じると小川洋子さんの作品達。とりわけ『密やかな結晶』は、徐々にさまざまな物事に関する記憶が失われていく世界を舞台に。私たちの知覚がいかに不安定な基盤であるかを考えさせる作品だった。

本作は、もっと身近なものとして「認知症」を認知する。そして体感するという試行的な取り組みを見事にやってのけたそんな意欲作として、私の記憶には残り続けると思う。
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